下の写真は、長崎市の辺境の地といわれる外梅地方。江戸のキリスト禁教時代、そして開放された明治後も独自の歴史を歩み、現在にいたる町。同じ長崎市なのに、市街地からバスで約1時間半ほどもかかる、行くのにちょっと勇気が要るところ。その昔、弾圧を逃れ、浦上からここにやってきて、じゃがいもを食べて隠れ生き、そしてここから、五島列島や平戸へ移り住んだ人も大勢いた・・という何度聞いても、政治と宗教の悲しい歴史を振り返り、考えさせられる町。かの遠藤周作もこの場所を愛し、彼の作品にはここがよく登場し、文学館もここにある。また昨年公開された、山田洋二監督の映画の舞台もここだった。それだけ多くの文化人の心を離さない魅力があるのだ。文化人でない私さえも、磁石のように吸い寄せられ、ここで生まれた発想やメロディもあるぐらいだから、ここには表現せずにはいられない静かで深い魅力があるのだと思う。そこでしか出会えない人との話のため、前置きが長くなった。
さて、今回は先般の冬の長崎での雪ライブでお会いできなかった、シスターの仕事場を尋ねる。そう、強風の日や、雪がひとたび降ればバスも通れない不便な街。今回は、一転、春到来の晴天。山の上から見下ろす海のみなもがキラキラと光る。木々にも桜が咲き始めている。バスでの道中、変わりゆく風景に心躍りながら、タイムトリップも楽しむ。
明治時代になり、キリスト教が再び認められ、長崎で殉教した二十六聖人への祈りを捧げる教会として、そしてまずは在留外国人の祈りの場として設立された大浦天主堂。この設立と布教活動に尽力された、かのプチジャン神父とともに、フランスから来日、印刷所を設け聖書を印刷、布教に励んだド・ロ神父という方がこの外海地区の開拓にも多方面で貢献され、今もその師が作られた出津教会ほかさまざま宗教遺産が大切に残されている。そのド・ロ神父が目指したのは女性の自立。信仰とともに仕事をして自立をして生きる女性を育てることが大切だと、自ら職業学校を興し、地元の女子を教育された。その跡地は今整備され、見学できるようになっているが、そういった遺産を大切に守っておられるのが上述のシスターたちだ。そこにド・ロ神父が母国より取り寄せられたオルガンもあって、個人的に強い興味を抱き、シスターたちとも知り合いになった。
今回は、1月に雪のため雪でお会いできなかったため、こちらから出向いた。シスターたちと話していると、神学生という若者にも出会う。さすが、キリスト教が根付く町だと、普段の自分の生活圏とは違う空気も新鮮に感じる。厳しい自然のなかで、静かに暮らし、祈り、人生を過ごす人たちの暮らしと、ドタバタするのが活躍しているかのような錯覚で生きている現代人。都会の雑踏とは真逆の世界。シスターといろいろ話すが、結局、私自身が無宗教であるところでの考え方、感じ方の差があることも実感する。シスターは私の考えを聴きながら「ユニークな方ね。」といわれつつ「もったいないわね」ともいわれたことが強く印象に残る。どういう意味かと確認すると、人のため、自分のために生きるのもいいけれど、神のために生きればもっといいのに・・という意味だそうだ。そうしないことが、もったいないということらしい。そうか~。これまで家人からは、自分の生活態度を見て、「もったいない」という言葉を何百回も言われてきているので、その言葉には慣れているつもりが、ここで、そういうことで「もったいない」といわれるとは。
最近、ずっと考えていることがある。家人や、シスターがいわれる「もったいない」はそれぞれの価値観からのありがたい言葉であるが、さて、自分の人生は、本当の意味で「もったいない」生き方か?であるならば、それは根本から改善しなくてはならず。
自分では日々の細かなところでは、浪費も多くそこは反省すべきであるが、これまで「もったいない」生き方をしているとも考えたことはなかったが、、。もっと力を出し切ったり、やりきったという極限まで生きないと、結局は人生無駄な時間を過ごした~とあとで後悔するかもしれないから、やるべきこと、やりたいこと、やろうとすることを極めるのがいいと思う。時間も才能ももっているもの全てを無駄なく使い、生ききる、また、自分らしく生ききるというのが、私なりの「もったいなく生きる」ことでもある。
そのシスターが言われた、ユニーク&もったいない。この言葉を大切にしながら、我が道をもっともっと開拓せねばと思う次第。ザビエルさんのおかげで、ド・ロ神父やその教えを受け継ぐ人たち、その方たちが作る食べ物にも触れることができ、それこそ、もったいくない時間、まさに至福のときをいただいた。外海はいつの時代もマイノリティを受け入れる。人生終わるときに、「ああ、私の人生、もったいなかった~」とだけは思わないように生きること。外海は今日も穏やかに尋ねる人を静かに抱いてくれるだろう。