東京では意図すれば、とくにビジネス面から数多くの人に簡単に出会うことができる。機会が多い。人の数も多く、それを求める人も多いからだ。異業種交流会や勉強会や、取引関係や・・。1日に何十枚も名刺交換するときもあった。その全員とつながり続けることは正直むつかしかった。結局は、そこから自分なりの選りすぐりの人たちと、細い糸でつながっていることに幸せを感じる。
一方、誰も知り合いがいない町に飛び込んで、時間をかけて知り合いを作っていく。その街に興味があるからだ。ネットに頼らず、リアルなコミュニケーションで出会いをつくり、育てる。ここ4~5年の間に、長崎でも知り合いがじんわりと増えつつある。その街が好きになり、その人たちの仕事や歴史背景を好きになると、相手も喜んでくれる、またヨソモノの目で、住んでいる人とは違う視点でその街を語ることについてとても新鮮な感触をもってくれることが面白い。「よー、知ってんな~。おれら、そんなこと知らんかった」という感じ。その街のことを勉強しているのを知ると地元の人も一気に心を開いてくれる。長崎の地元の人と一緒に食事をするという貴重な時間。せっかく来たんだからといって、魚料理を、くじらを、すすめてくれる。そして自分の田舎~五島列島~での近い将来の田舎暮らしについての楽しみを語ってくれる。お金がなくても、そこで静かに自然とともに生きていける楽しみについて笑顔で語ってくれる。お父様が原爆で亡くなったことがきっかけとなり、五島とも縁ができた人生だったよう・・。世界中には、街という生活環境の単位が無数に存在するが、そこに生まれたり、移ってきたり、すべての人々が町とともに生きている。その街ごとに歴史も自然条件も産業もすべて異なるが、人々はその街とともに生き、影響を受け、人生を過ごしていくという点では同じだ。
その街にはその街ならではの暮らしと楽しみ方がある。観光で訪れるだけではなく、もう一歩、その街に深く触れ、人々と交流することで、その街で生きている人に興味が高まる。「いつか、長崎に住んでいるかもしれんね」といわれ、そういう選択もありかもしれないと想像すること自体が楽しい。
いろんな場所に出向き、それぞれの暮らしを見聞きし、人と交流し、画一的ではない、自分に合う生き方、生き場所を求めることも、実は贅沢なことかもしれない。
地方とは、東京から地方創生と、地方で生活してもいない人たちが声高に叫んでいる以上に、現実には、もっと多様で、真の豊かさがあって・・・そのことを実感するためにも、意志をもって、いろんな町をもっと知る必要がある。
雪国には雪国の、西の島には島の、まんなかにはまんなかの・・・面白さがある。