なんとしても、一大勢力となって、大きな塊となって戦わないとならないという意気込みは少しは理解できる。政権打倒を目指すのも、まともな政治家ならばそう思い、行動するのも理解できる。そして合流。この合流というのがどうもピシっと来ないのも正直なところ。企業の合併となれば、もっと組織的にはメリハリもあり、統率力のあるリーダーが合併する、される側を率いていくのであるが、ここで民主主義といわれると、うーん。結局はいい人の集まりか?と思え、応援する力もなえてしまう。
名前を変えると公言するのはあとでも良かった。中では議論してもらってもいいが、それよりもまずは先に何をする、何を変える、どう変える?いつ帰る?政策を明確にし、そのことを実行するのが合流する組織、だから名前をこうするのです!とすべきではなかったか。名は体を現すというが、一緒になってどんな「体」になるのかもよく見えていないところに、先に名前か。子供の誕生と命名とはちょっと違う。今回の合流には、期待したかったと思う人が多いはず・・だからWHATを先に論じ、伝えてほしいのに・・。
とその手法のあやふや感が心配。また、合流するトップたちもどこかしらパワーが・・。よし、やったるぜ!という力が伝わってこない。海を越えた大陸のトランプさんをそこに登場させたくなる。あれぐらいの気迫、インパクト、強さがほしいのに。
名前はアイディティーの証し。これで決めたというならば、腹をくくってやるしかない。
とにかく、名は「一体」を現す。という新しい名前であり、どこまでいっても一体感をもち、新たな勢力になってほしい。
コミュニケーション力が気になりすぎる・・・この世界・・・。残念。