ご冥福をとは言えない・・・という気持ち

3月11日がまたすぎた。5年ということでそのしばらく前からマスコミがこぞって報道を続けてきた。ひとつのイベントのようでもあり、番組をつくるためにその日があるような?感じさえする一面もあり。何年だからどうだ・・というのは不自然な感じもし・・正直複雑だ。あの日を忘れないと言葉でどれだけ言っても、どこかしら空虚な感じもする。忘れないといわなくても、覚えている、祈る、教訓とするということを一人一人が自分でできる姿が本来ではないか。と思いながら3月11日という日をみつめる。実際に、被災され、仕事仲間や友人たちを失くされた方とメールでやりとりする。その方の返事に書いてあった「あの震災で亡くなった仲間に今もご冥福にとは言えないです。どんな気持ちで無念な気持ちで亡くなったかと思うと・・もっと生きたかったはず・・・」だから生きている者がその人の分までがんばって生きるしかない。という覚悟が伝わって、その思いにこそ頭が下がる。

イベントとしてではなく、静かに応援する方がいい。この3月11日に絡めて東北支援をとやっている事業、催事も多いが・・・ちょっと・・。時間の経過とともにこういう形のおまつりになっていいかとは思えないまま・・。

とにかく生きている者が、生かされているものががんばらなくちゃ。と、そのことが強く心に刻まれる1日だった。ふつうに仕事できて、出張できることの幸せをかみしめながら・・・。そして新たな1日がまた始まる。

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