ひたすら歩き、「考える人」になる。

ロダンの彫刻に「考える人」という作品があったが、あれは停止したポーズだったはず。考える内容もそれぞれであるが、私が最近気に入っている「考える時間」は、歩いているときだ。時間が許す限り歩くようにする。1時間程度は無理ない時間。とくに満員電車の地下鉄の上を、ゆとりをもって気持ちよく歩けるのは、ちょっとした優越気分にもなれる。町を歩くことでいろんな風景や動きが目に飛び込んでくる、耳に入ってくる、いろんな人とすれ違う、その都度都度いろんなことを感じながら、自分と向き合う。一人になりたかったら歩く、できればその時間はスマホもOFFにして。音楽のことを考えたければ、練習したければ音を聴きながら歩くもいいが、何もつけず、自然に入ってくる町音を吸収しながらひたすら歩き続けるがいい。春の訪れが近い東京での夕方近く。思い立ったら即行動、わが思索の時間の始まりだ。パソコンから離れる時間をつくるという自分への働きかけでもある。神楽坂から新橋方面まで往復歩く。正直、帰路は足がちょっとつりそうになるが、修行と思ってあと二駅、あと一駅と自分を鼓舞する。(人から見たらばかげたことだ)今日は電車に乗らないぞ!。気が付けば皇居をぐるり1周もしていた。晴れの夕暮れ近く、ビルディングに明かりが次々灯り、外国人らしきビジネスマンとすれ違うと、やっぱり東京はTOKYOだなと思い、会社員時代、上司が東京転勤を勧めてくれたときのことを思い出す。東京駅前周辺の建築ラッシュは今も続き、その取り壊しの残骸は仮囲いを越えて匂ってくる。粉塵が健康に悪い。ちょっと9月11日の同時多発テロのときのNYの匂いにも似ているか・・・とあの頃を思い出したり・・。いろんな変化を感じながら、物事を考えるには、てくてくウォーキングがいい。マラソンとは一味違う楽しみ方だ。どこでも時間があれば、WALKING+THINKING に挑戦。それが私の発想源。自らの足で好きに歩けることに感謝したい。

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