ロボットではできない仕事

PCやネットやらと格闘の日々は続く。つい最近も海外ホテルのサイトに入る際にサイン インに見慣れない不思議なゲート。「わたしはロボットではありません」というチェック項目があり、当り前じゃないか~と思うが、その証しに、ちょっとしたゲームというかクイズというか、儀式を通過しないと、そのサイトには人間として入れてもらえない。その意味自体が理解できず、またもや格闘。うーん、ロボットがわざわざホテルを予約するわけないじゃないか・・と。まったくおかしな社会になったものだ。

最近、近い将来にロボットにとって代わられる職業のリストがあるシンクタンクから公開された。いわゆる作業に近い仕事の多くは、将来はロボットが担うことが可能らしい。人材不足の昨今、工場にはロボットの活躍への期待が大きいそうだ。先日は知り合いが連れ合いさんが亡くなってから、娘さんに買ってもらったロボットと暮らしているという話をきいて、驚いた。ロボットがいつも話しかけてくれるのだそうだ。それは遠隔で娘さんがコントロールされているようだ。そんな風にして、同居できない家族のコミュニケーションもロボットがサポートする。

ロボットと人間の共生社会。でもロボットはもともと人間が考え出した存在だ。そのロボットに人間は助けてもらうこともあり、そして脅威になることもあるかもしれぬ。

自分の仕事について考えてみる。大量生産も効率的な製造もできないが、ロボットにはできない仕事、人間にしか、人間だからできる仕事にこだわって生きていきたい。心を揺さぶる、心を動かす、涙を流し、笑う。血流をよくする、生きていてよかった・・と思ってもらえる感動づくりの仕事。この領域にはロボットは介入できないはずと思っているが??

ふと、ロボットだけの楽員のオーケストラというものを想像した。各奏者と楽器にあらかじめプログラムされている音は整合性をもって演奏することはできるだろうが、呼吸の乱れ、興奮、観客とのコラボ・・・そんなところは無理だろう。無理であってほしい。心を大切にする仕事。そこは絶対になくなってはいけない。

ロボットの登場により、人が人として豊かに生きることとは?について考えなければならない。がんばれロボコンという番組が昔あったが、あれぐらい人情あれば人間とも共存できるかも。

とにかく、人間らしい仕事、職業を極めること。

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