顔という存在は人と人を識別する際、もっとも重要なファクターだ。生まれながらのものであり、時々整形などをする人もいるようであるが、それだけ重要だからそういった需要があるのだろう。
顔は常に見られる。鏡を見る以外、写真で写った自分を見る以外、自分の顔を見ることはないが、自分以外の人々に、常に顔をさらして生きている・・。
最近、アメリカの大統領選挙で熱く演説している候補者たちの顔をネットでも、テレビでもよく見る。それと同時に日本の国会や記者会見などの様子も少しだけ見る。(長く見るには耐えられないため)
そこで思うのは、自信があると顔付きが変わってくるということ。苦難、苦渋の状況、自分でもどうしたいかが明快でないようなときの顔は正直、見ていてすぐわかるほどに貧しい顔付きになる。
今、勝利に向けてガンガンいっているトランプ氏やクリントン女史。どちらもいい顔付きをしている。こと、クリントンは長くみられる仕事をしてきたせいか、かなりこの点からもセルフトレーニングもしていると推察する。またエステ代もかかるだろう、洋服代も、美容院にかける費用も・・。
それも含め、見た目が評価される。豪華さとか、そういうことではなく、いい顔に見えることが大切。話しぶりももちろん重要であるが、顔付きで、その人の勝利を予想するのも面白い。
日本の政治にはそのような関心はなかなか・・・。突然 びっくりするような言葉、似合わない言葉を連発されると、顔も見たくなくなるからかもしれないが・・。とにかく、「顔」は見られるもの。注意して見られよう!
顔注意報。
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