「忙しい」という言葉は使いたくない。といつも言ってきている。何かに追われ心なくす生き方はしたくないからと。しかし、この現代社会において、世捨て人のごとく何もしないで生きるわけにも生きず、またいつも何かいろいろ追い求めている生き方が充実していると思いがちで、気が付けばあわただしい「マイペース」になっているのかもしれない。
自分と違う価値観、スピード感で生きている人に久しぶりに会うと心配してくださったり、気づきを与えていただいたりする。「年取ってから必ず体に出ますからご自愛くださいね」と癌の転移で苦労されている方からのメッセージ、「無茶をされず、ご自愛くださいね」「とにかく体だけは気を付けてください。」とくに年上の方、諸先輩からご心配いただくことが多い。同世代の方からは「これからもずっと挑戦し続けてください。」「いつも何かし続けている今尾さんを応援しています」など、背中を押される。
いずれもありがたい応援であるが、ここらで自分のペースというものを見直してもいいかなと思う今日この頃。たとえば、応援してくださる周囲の方もお年を召され、しんどそうであったり、前と同じように会えなくなったり、便りが少なくなったり・・・。そう、みんなが元気いっぱいでいつもいつもパワフル!という状況だけではないことも理解しないといけない。
距離が少し遠くなっても、それでもつながり続ける、あるいは見守る、そんな人間関係も大切だ。いつも元気元気!とプッシュするだけでは相手がしんどいこともあるかもしれない。自分も然り。いつまでも20代や30代の頃のようなペースでなく、もっと落ち着きある、丸みをもった生き方というかそんな進み方も必要になってきたのかもしれない。強く、深く、優しくありたいという思いは何も変わらないけれど、その行動のペースを見直すことは時として必要だ。若い日と比較してトーンダウンするのではなく、今に最適な自分との向き合い方とでもいおうか。そんな自己点検は必要だ。自分らしく生き切るために。要するによく考えて、味わって生きようということだ。
「マイペース」を見直す秋
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