夢の街にある、ドリーム妄想

私が大好きなマカオのお菓子を地道に営んでいる店がある。卵と小麦粉だけを使うのであろう、この焼き菓子の素朴な味わいは、ポルトガルから伝来するものだと推察する。カステラやサブレに近い、素朴なお菓子。中華風ではなく西洋の煎餅だ。
この店を20年ほど前に、初めて発見したときは感動した。観光客がたむろするセナド広場の少し坂を上がったところで、老人夫婦が小さな店を構え、ただひたすらに煎餅を焼いていた。旦那が焼く、妻が袋詰め・・と接客。黙って仕事をしているが呼吸が合っている。この老夫婦の単調であるが、息の合った仕事ぶりをずっと眺めるのが好きだった。マカオの良き時代を感じる仕事であり、異国文化を感じる商品だ。
言葉が通じないので、会話はできない。挨拶とお礼だけだ。その夫婦が作る焼き菓子。それを食べるとポルトガル領のマカオに来たという気がした。南蛮人が持ち込んだ味だと勝手に感動していた。マカオという街が返還後、他が変わってもずっとこの店が続くことを願っていた。そしてパッケージの一部を切り取って冷蔵庫に貼って、忘れないようにしていた。
(大昔、わがサイトでもこの老夫婦のことは紹介したことがあった)

中国の発展とともにギンギラギンに変貌するマカオに距離をおきたくなって数年行かなかった。昨年久しぶりに行く機会があり、雑踏のなかを抜け、その店があった場所を探し歩いた。あるはずの場所にもうその店はない・・。その店がもうなくなったことに気づき、ショックを受けて歩いていたら、街の中心セナド広場の脇にパラソルを発見。そこで屋台としてその息子らしき人がその煎餅を焼き営業しているのを発見、飛び上がるぐらいにうれしくなった。迷わず「爆買い」した。もう二度と出会えないと思っていたから、店舗がなくなっても屋台で引き継がれていることに感動した。

今回、旧暦の正月を迎えるシーズン。再び現地に足を運ぶ。その息子らしき人は同じ場所で営業しているのだろうか?神様に祈るような気持ちで、正月気分で賑わう装飾華やかなセナド広場、その片隅に屋台がないかを探した。すると長蛇の列ができている店をみつける。なんと、その煎餅屋だ。
やっぱり現地の人や中国の観光客にとっても、おいしいのだ!納得しながらその列に並ぶ。休むことなく、鉄板に小麦と玉子を混ぜた生地を置いて焼き、袋詰めし、接客する。すべてをひとりでやっている。食べ物を作っているため、お金を触ると手が汚れるので、お客が店主に指定された場所にお金をおいて、おつりをもっていく・・というセルフ方式だ。横から強盗がこないか、ちょっと気になるが、行列ができる店にそんな悪事をはたらく輩は寄りつけないのだろう。

日本では滅多に並ばない。でも、今回は並ぶ。20分以上待って、やっと買うことができた。
「日本からまた来たよ。」というと、ひたすら煎餅を焼き続ける息子は少し笑った。そして「加油!」(がんばって!)と言って商品を受け取り、そこを去る。本当はもっとその仕事風景を見ていたいが、見ているだけでも邪魔になりそうだ。
とにかく人気の店だ。ずっと焼いて、ずっと売っている。1日この作業と接客を続けたら、何センチものお札が積まれるはずだ。
屋台なので、その場所代は多少払うにせよ、かなり利益率のいい商売と見た。
原材料は卵と小麦。鉄板2つ。包材。焼くための燃料。ひとりで商売をしている。
たくさん稼いだ日の翌日、急に休むこともできるのだろう。とにかくずっと働いているその息子を見ていて、彼の夢はもしかしたら?と想像した。
一生懸命働いたあとは、何か別のことをする?カジノに行く?いや、行かないだろうな。
いつか大きな店を持つのかな・・・。

一攫千金もよいが、地道に地道に働いて叶える夢。
マカオでは、その両方が見える。

まさに夢の町。ザビエルが目指した夢、煎餅屋の夢、カジノに通う人たちの夢。
人それぞれその形は違うけれど、夢は夢。
さて、私の夢は?地道にいく、わが道をいく、プロセスを楽しみ生きていきたい。マカオせんべいや

カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク