時間という存在の不思議

同じ時間を生きることはない。生きている限り、刻一刻と時間が経過していく。
毎秒ごとに、ああいってしまった・・という間もなく、時は過ぎていく。
時間という価値を最初に考えた人はいったい誰なのか?
最近、よく考える。
悲しいこと、うれしいこと、いろいろ起きるが、時間とともにその感情の重さは違うものに変化していくことに気づく。
どんなに悲しくても、時間とともに、違う見方ができるようになり、そしていい「思い出」になっていくのだ。
1か月前の悲しみはだんだん薄く、細くなる。もちろん関係によっては、そう簡単にはならず、ずっと悲しみが続くこともあるだろう。それでも、きっと時間とともに、変わってくるのだと思う。
それが生きているということだろうか。
人間が生きるにあたり、時間という軸があって本当に良かった。それがなければ、生きづらい。
もっとも、時間という軸がないと、どうもこうも生きられないとも思うが。
どんなことがあっても、時の経過とともに、人間はどん底からでも、沼地からでも這い上がって、生きていけるのだと思う。
すべては時のおかげだ。
二度と戻らぬ時を、今日も大切に生きていこう。
1か月前までの悲しみと、2週間前の悲しみと、今の気持ちが少しづつ変化しているような感触をもちながら。
すべての感情は、ただ自分が今生きていること、生かされていることへの感謝につながると信じたい。

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