人生は泣き笑い劇場。

人間って、おかしな動物だと自分自身を見ていてつくづく思う。
どんなに悲しくても、それと関係なく日常生活を営むのだ。
眠る、起きる、食べる、飲む。買い物にも行く。泣いていたはずなのに、まったく
違うことができてしまうのだ。それでも、生きている。という感じだ。
もやもやしていても、少しお酒を飲むことで、心を浄化したりすることもある。
すべきことがたくさんあること、会う人がたくさんいることで
悲しみや寂しさが紛れたり、知らぬ間に前向きになれたりする・・。
どんなしんどくても、おかしなことがあると、ぷっと笑える。
かと思ったら、突然いろんなことを思い出して、泣き出したり・・。
私の毎日はまさに豊かな「喜怒哀楽」劇場のようだ。

1月を振り返ると、悲しいことも、うれしいことも、まあそれなりにあった。
心晴れない日もあったが、それも多くの人に見守っていただき、応援いただき・・・
こうして1年の12分の1が過ぎた。
今言えることは、「それでも生きている」ということ。
人生はそれぞれ何かしらの役割をもって、演じ続ける泣き笑い劇場だ。
あまりにいろんな人が登場して、去っていき・・・。
子供のころから、喜劇が好きだった。喜劇は泣き笑いだ。
ほとんどがたわいもないこと。
それを大げさに感じたり、人とすれ違ったり・・。
いろいろあっていいじゃないか。
それでも、私は生きている。
2月から新しい道に向けて、模索の旅がはじまる。
さあ、これからも豊かな泣き笑いでいくとしよう。

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