山の神様の存在

御嶽山の噴火、その後が気になる。死傷者が増えていくことに心が痛む。戦後最悪の火山災害となってしまった。まさか山登りに紅葉を見に行って・・・とは・・。生死の壁とは何かということも考えさせられる。
1日も早く行方不明の方たちの安否が確認されることを、心より祈るばかりだ。
実は、この御嶽山、私にとって実は因縁が深い。幼少時代にいろんな意味で影響を受けた山だ。山岳宗教の聖地として著名なこの山。この山を信仰し、登山してお参りする方が多かった。その熱心な信者の一人であった祖父の影響で、そのことを幼い頃より教えられた。しかし、祈ることが他力本願な感じがしたり、神頼みというのがどうもそのときは理解できず、子供心に生意気にも反発をし、抵抗をしていた。
が、唯一小学3年生の頃に、登山した記憶がある。それが私の唯一の登山経験となった。観光バスに乗っての巡礼登山。確かあの山は六合目ぐらいまでバスで行ける。そこから徒歩だ。1日目は9合目まで登り、そこの山小屋に泊まり、夜明け前に頂上に上った。あの朝焼けは確かに美しかったということは今もうっすら覚えているし、そのあとの下山がしんどかったこともなぜか覚えている。山の凄さ、山の力は全身で感じていた。が、その後も私の中でそこへの信仰心は育たず、二度と足を運ぶことはなかった。が、学生時代に祖父が熱心が信者のまま、その生涯を終えたとき、おじいさんはちょっと不思議な存在だったと思ったことも確かだ。
そして祖父が亡くなって何年か後のこと、中国だったか台湾だったかで一人の占い師に会ったことがあった。その人は「あなたはおじいさんに守られているよ」と一言。そうか、おじいさんといえば御嶽山だったとそのとき思っていた。そんなわけで、私のなかで、御嶽山はおじいさん、そして私を守り神のような存在となっていった。
御嶽山のある木曽の町を「天空の町」として観光誘致しようと地元の人ががんばっていると最近そのニュースをどこかで観たばかりだった。今回のことがあると、それどころではなくなる。非科学的に観れば、山も怒っているのかな。という見方もできる。
日本人特有の自然崇拝が思い起こされる。山を大切に、海も大切に、自然をすべて大切に。そうしないと怖い目に遭うよ。幼き頃のさまざまな学びが今回のことで、再びよみがえる。とにかく、行方不明の皆様の1日も早い発見を心より願っている。

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