折り紙といえば、子供のころは多少誰でもやった記憶があるはずだが、大人になるとどうだろうか?脳トレに良いからとお年寄りが率先してということもよく聞くし、私の母もボランティアでか?暇をみつけてはいろいろ折っているが、私自身はもう長年折り紙をした記憶がない。
その「折り紙」について、その教室をされている先生との出会いで関心をもつようになった。
彼女はここんところ、私に会うたびに折り紙のサプライズギフトをくださる。最初はディナーショーのときにポインセチア。お年賀にと今度は私が好きな紫と赤のバラのセット。折り紙を施した丸い箱に入っている。折り紙は花束の代わりになるのだと感動した。そのお花の連発だけでも感動であるのに、さらにまた今度はかわいらしい巾着袋。「なかにキャンディが入っていますから」と。あとで開けてみると、おさるのキャンディが・・。
すべて折り紙で作られている。うれしくてうれしくて涙が出る。お金を払って買っていただくプレゼントももちろんうれしいが、この折り紙ギフト・・。この方は何を思いながらこれを作ってくださったのかと思うだけで胸が熱くなる。
そんなことで折り紙に興味を持ち始めたが、よく考えたら長崎では街中でよく折り紙をよくみかけたことを思い出した。
あるキリスト教の資料館では、受付のところに小さな折鶴が小さな籠に入っており、ご自由にお持ち帰りください。とのこと。
そこでいただいた紫の鶴は今も財布に入れてある。そう、小さなお守りのような存在だ。
さらには、今回コンサートを行った長崎市旧香港上海銀行記念館でも、売店で本やカードを買うと必ず、スタッフお手製の折り紙が入っており、今回は駒が入っていた。スタッフが手のすいたときに、せっせと折っておられたのが印象的であった。
そうだ、原爆資料館の中に飾ってある千羽鶴・・は見事だ。地元の小学生が折ったものから、全国の方々の祈りが込められている。
折り紙とは、日本伝統の素朴な遊びでもあり、そして祈りのコミュニケーションツールだ。
そして、生花は枯れてしまうが、折り紙で折った花は枯れない。手先も使い、想像力も養い、気持ちも伝えることができる。
日本人ならではのおもてなしにも最適だ。
サプライズでいただく折り紙ギフトに、作家さんからのメッセージを感じる。ありがたい。形に残る感動も素敵だ。
地味であるけれど、純粋な気持ち、まっすぐな気持ちが伝わる折り紙。この文化、アート、コミュニケーションを大切にしたい。今、ORIGAMIは世界でも注目が高まっているそうだ。