雪の精の存在。

イベントとなると、雪が応援してくれることが多く、これまでの自主イベントには、東京ライブでまさかの雪バレンタイン、新潟でも初雪・・まさか降らないというときに、降ってきたことが何度もあり、人から雪女と言われても否定できずにいた。
雪という存在には、新潟に通い始めてから少し慣れてきた。見ている分には美しいが、それに付き合うにはなんと厄介で大変な存在かとも雪国に住む皆様の暮らしぶりを垣間見ながら、そこで生きることの厳しさや危険も少しづつわかってきた。雪国に生きる皆様の忍耐強さには頭が下がる。そして静かに生きる季節があるということも、不可抗力のときもあるということも学んだ。
そして今回、ライブツアー最終回の長崎では、観測史上初の大雪となり、雪に慣れない町でのこの事態は深刻であることも改めて知る。
交通インフラがストップし、物流機能もお店も・・・とくに坂の町での雪は危険である。
そんな状況でいるときに、「雪の精がおりてきたんだよ。雪が愛を運んでくれているよ。だから、がんばって」というメールをいただき勇気が湧いてくる。
そうだ。どんな存在でも両面ある。厳しさと優しさと。過酷さと楽しさと。
そして、雪の存在はなんといってもインパクトがある。
この大雪の中での珍道中ライブを、私はもちろん、おいでいただいた方も生涯忘れることがないだろう。
きっと後になれば、素敵な思い出になるはずだ。
ときに、精の存在を信じるのもいい。妖精?精霊_いずれにしても、人の心の奥に潜み、人を包み込む見えない存在であるが、確かにその存在を感じることができるのだ。
なんと、ロマンチックな最終回になったことか。雪の精は人をよりロマンチックにしてくれる。
・・・と 新潟に積もる雪を見ながら、長崎をなつかしく思い出し始めている。

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