第三者が気づいてくれること。

私事であるが、子供の頃から友達に親を会わせることなどがとても嫌いだった。怖い人とか口うるさい人と言われるのではと勝手に思っていた。
大人になってからは、田舎の人ということでの恥ずかしさが正直あった。年をとるにつれ、田舎者は恥ずかしいことではないと思うようにはなった。ただ、いろんな方に親に会ってもらうにはちょっと勇気も要ったし、生まれてこの方、大勢の人に紹介したことはない。確かに別々に住んで30年、親を改めてだれかに紹介する機会もあまりなかった。
このたび、仕事でお世話になっている方たちが縁あって、岐阜で両親と対面。わずかの時間であったが、その出会いを親たちはとても喜んでいた。一方、仕事でお世話になっている人には、きっと方言がきつくて何言っているかわからなかっただろうな・・など心配をしていた。
するとその方からこんな言葉が。「昌子さん、お父さんと少し話したけれど、方言大丈夫、話もよくわかったよ。とにかく昌子さんのことをかわいくて仕方ないと思っておられるということがよくわかったよ。目が優しい人ですね。なんだか本当に娘のことを慈しんでいるのだと思いましたよ」へえ~。そんな~。父と向かい合っているといつも言い争いになり、目も合わさないことが多いのに、初めての方といい対話をしていたんだ。また父がそんな風に見えていたとは!そのときは、うれしいと思った程度だったのに、その方と解散し、電車に乗ってさきほどの言葉を思い出し、また父親のごつごつでくしゃくしゃの顔を思い出したら、涙が思わずあふれた。ああ、そうだ。父は優しい人だ。忘れていた!いかんいかん、先は短い。もっと親孝行しないと後悔するぞ。いてもたってもいられなくなり、久しぶりに手紙を書く。会ったばかりなのに、電話でなく改めて伝えたい気持ちがあった。いつも主観的かつ近視眼でみていると、相手の良さを見失いそうになる。ああよかった。客観的にみてくれる人がいてくれて・・。いかに苦労して大きくしてくれたことか。気が付けてよかった。第三者は本当に大切だ。

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