愛情深いほど、多くの悲しみ、でも・・。

あるクリスチャンの方に、連続する親しい人の死との向かい方についてたずねてみる。
その方も、以前、親しい方が短い期間に続いてお亡くなりになった経験があり、その方は一緒にお仕事をする仲間を亡くされたということでしばらくはショックでどうすることもできなかった・・・。しかし時間の経過とともに、その亡くなった方たちのことを思いながら、一緒にしようとしていた仕事のアイデアが新たな形で湧いてきたという。その人たちのためにも新たにがんばろうと思えるようになったとのこと。
そして、人に愛情を注ぐ分、受け取る悲しみも多いとも。
その悲しみをどう受け留め、自分の次の道に生かすか・・。それが残って生きる者の役割なのかもしれない。
人を愛す反面、悲しみも経験するのか。複雑な思いになる。
でも、愛さなければ、愛されなければ悲しみも少ないかもしれないが、歓びも楽しみも少ない人生だ。
悲しさは生きていくうえで、一生懸命生きれば生きるほど、ついてくるものなのだ。
非の心と書く、「悲」の文字。あってはならない、非常の心。だから毎日、ずっと悲しみが続くことはない。と信じて。
出会えば別れる、入れば出る、生まれれば死ぬ。それだけのシンプルな法則に沿って生かされているだけのことだ。大げさに考えなくていい。
ときに信仰心の厚い方との対話は、大変助かる。

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