デヴィット・ボウイが亡くなったと世界中のメディアが報じた。普段、著名人の死にもあまり興味を示さない家人も、「デビット・ボウイが死んだって!?」とネットのニュースを見て声をあげたほどだ。私はロックミュージックの世界には疎いが、それでも彼の華麗さは世間の人々が知るように認知しており、伝説になる人なんだろうな~とは思っていたが、やはりそのとおり、世界が誇るビッグスターであった。ニューヨークタイムスのネット版のトップページにはボウイのさまざまな姿の画像が繰り返しアップされ、いかに多面的な顔をもつアーチストであったかを報じた。
改めてその画像を見ると美しい。個人的には動画よりも、その瞬間だけをきりとった静止画の方が美しく感じる。1枚の写真は限りない想像の世界を与えてくれるからだ。
私たちの中学、高校時代のヒーローだろうか。音楽とはビジュアルでもあるということ、いくら技巧的に優れていても、それだけでは感動を与えず。とくにロックの世界は、独特のハレの世界の自己表現。本来の自分、素顔の自分をよく見ている人だけができるパフォーマンスだと思う。
ロンドンも、ベルリンも、そして亡くなったニューヨークでも・・。世界の各町でボウイの死を悼む人の数は計り知れない。
カッコよくあれ、美しくあれ。そしてやはりメッセージが必要なのだ。言葉で、ビジュアルで、音で・・・何で何を誰に伝えたいのか。
ボウイの死から改めて、クリエイターとアーチスト的な生き方について考えさせられた。
挑戦し続ける人は、カッコいい。唯一無二を目指す人は、かっこいいのだ。
カッコよく、美しき生き方、生きざまとその表現。
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