突き抜ける、知の怪物はありがたきお手本。

ある方にいつもエールをいただく。「突き抜けた変人でいてくださいね」これが彼流の激励だ。変人は悪くない。むしろ興味がある。よく「普通」という言葉に対して、幼き頃から「普通って、何?」と違和感をもってきたし、今でもその「普通」
の意味がわからないところもあるし、変人とは貴重な存在な感じもして、憧れもある。しかし、常識的であろうとする大人の世界と、変人とは相いれないところもあり、変人であり続けるというのは難しくもある。また突き抜けるということは、それ以上に難しい。
先日、新潟市主催の「安吾賞」という企画で、佐藤優さんがその賞に選出され、その発表会に参加、佐藤さんのトークを再び拝聴する機会を得た。
やっぱり、この方は突き抜けている。突き抜けた人とはこういう人のことだ。と改めて思った。
本当によく勉強されている。読書量が月に300~500冊?だそうだ。1年ではない。そんなことできるの?ということをこの方はやり続け、他に類を見ない知識人としてご活躍だ。彼のなにげない一言にも厚みを感じ、また歯に衣着せぬ表現のなかにも人としての道理や愛も感じる。年始早々に、突き抜けたお手本に出会い、
まだまだあかん!と突き抜ける方向を探検、模索しはじめる。
もごもご、もんもんとしながら、いくしかない。
好きなことをやり続けると、突き抜けるのかもしれない。それだけに没頭して生きようと思える純粋さこそが必要なのに、まだそこが私には足りない・・。

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