大好きな日本人画家のひとり、竹久夢二。パリのロートレックに影響を受けていたそうで、確かに両者とも、単なる芸術作品としての絵画ではなく、コマーシャリズムの中でのアートという点でも、大いに活躍、そして今日のアーチストにも影響を与えている。
夢二は女性画があまりに有名であるが、それに限らず風景画から工芸品、そしてパッケージや雑誌や楽譜の表紙、きもののデザインまで幅広く作品を作っており、まさに女性の憧れの世界をロマン豊かに描き出してくれた天才のひとりだろう。今、都内で作品展が開催されており、大勢の観客でごったがえすなか館内を巡り、作品の色、表情にほっとしたり、安堵したり・・。夢二は独学の人であった。学校は行っていない。そして迷った。学校へ行って勉強しなおすか・・と芸大の先生に作品を見せる機会があったそう、その教授は夢二に「キミの才能は大学では開かれない、逆に才能をつぶされる。だから君は君の道を進むのが良い。それは苦しい道であるが、元気をもって進むといい」・・・表現の細かな部分は異なるがこのような主旨の言葉を残されたそうだ。私はそれを夢二の半生をまとめた映像で知り、大変感動、なぜか涙があふれる。苦しい道・・だから元気でいなければならない。ここにいたく心をゆすぶられた。学校などで人が教えてくれる定型の、安定の道はある意味苦しくはないかもしれない。メジャーということだ。人に認められないマイノリティの生き方はとても大変だということ。でも、そこでくじけたり、苦しさに負けてはいけない、それをはねのけるぐらいの元気をもって臨めばうまくいく、誰にも成し遂げられない道が開けるよ・・というアドバイスだったと勝手に解釈し、なんだか自分に言われているような気がした。
夢二はこの先生の言葉に影響を受け、以後、独学で頑張り続けた。素晴らしい。自分を信じていたのだ。
私の好きなムーランルージュの絵などを情報を得にくい時代にも関わらず、夢二は自力で収集、スクラッチノートを創り、自らの作品作りに役立てていた。早くも自分の絵をさまざまな商品に展開し、夢二ブランドを構築していた。いろんな面で、先駆者であり唯一無二の生き方をされた人。
夢二は50歳で亡くなった。今の自分と同年だ。同じ50年でも、自分はまだまだ。少々苦しくても、元気にいこう。そう、元気とは、逆境こそが生み出すパワーなのかもしれない。
苦しい道だから、元気を失わずに
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