毎朝早く、新聞が届くのはとても幸せなことだ。コーヒーを淹れながら、飲みながら大きな紙面をめくっていくのは、いつの時代も楽しい。タブレットでももちろんみられるけれど、宅配される新聞というのは、朝の習慣としては最高のギフト!という感じがする。以前、とある著名新聞社の記者に新聞販売店は偉い!配達している人は偉い、応援しなくちゃ!と言ったところ、「昔、配達でもしていたの?」と言われ、その言葉にとてもどういう意味かと、大変驚いたことが今も鮮明に残っているが、新聞配達というサービスは日本に固有のありがたいサービスであり、配達がなければ新聞は日本でここまで普及していなかったはず、そこを忘れてはいけない。だが残念なことにこのしくみは、このネット社会のなかで衰退しているし、これからはもっと大変になるだろう。でも、この朝の楽しみを知っている人にとっては、なくなってほしくないサービスだと思う。時々、購読する新聞を変える。一定期間、読み続けるとその紙面への飽きもあるし、奢りを感じてしまうこともあったり、そんななかためし読んで共感する紙面をみつけると、ブランドスィッチしたくなる。それも面白いこと。半年読むとだいたいわかる。仕事で必要な新聞もいいが、人間として勉強になる紙面も良い。またジャーナリストとしての意気込みが伝わる紙面は魅力的である。たんなる知識を知っているエリート的な記者が書くよいこ新聞よりも、自分の目で世の中をきちんととらえている社会派的な記事は好感をもつ。体制に媚びない姿勢も大切だ。
ということで今回また新聞を変えてみる。配達される方ももちろん変わる。
今度の新聞店は外国人のスタッフが多いようだ。東京で生活するのに新聞配達をやっている外国人の人と初めて話した。皆さん必死だ。集金もなんでも一人でやるようだ。がんばっている外国人労働者の方、がんばっている新聞配達店。どちらがんばってほしい。日本独自の習慣をこのような方たちが支えてくれているということを、
一読者としてもっと感謝したい。日本中の新聞配達の皆様、元旦からお疲れ様です!
上記に書いた新聞記者から「新聞配達では犯罪も多くなっているよ」とも言われたが、その見方だけではなく、自分たちの給料を稼ぎ出してくれているのは広告主だけではなく新聞配達の人たちでもあるのだから・・・ということで、新聞の普及を長年支えてきてくれたこのしくみに心から感謝し、大切と思うものを大切にできる1年にしたい。ニュースペーパーという存在がいつしかなくなり、オールドペーパーにならないように。
新聞の宅配サービスに感謝。
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