昨年の胃がん手術後、母親に毎朝6時にメールをし続けている。母も元気になった。
母もがんばって返事を返してくる。いつのまにか、朝メールからはじまるいいコミュニケーションができているように思う。
一方、父親にも何かしないと孤独だろう、不公平だと思い、父にも同じように朝6時すぎメールを開始する。返事はなかなかこない。時々きても「了解」だけ。それだけでもあれば、まし。ないときはずっとない。
娘としては返事がほしい。「元気か心配でメールしてるので、返事まっているよ」
と書いてもこない。電話をすると「めんどうくさいで、メールやめてくれ」と言われ
こちらも不本意ながら、そういうならと朝メールをやめる。
この話をある男性にしたら、「お父さん、メールないとさびしがると思うよ。返事は面倒くさいけど、メールきたらうれしい。男ってそんなもの。だから送ってあげた方がいい」とその方は自分のことのように、父の心理がわかるかのごとくおっしゃる。
仕方ない。そういうものか。と思い、再び父にも朝メールを再開してみる。相変わらずのノーレスも続くが、もうおかまいなしだ。
それにしても、父親ってそんなもの。というのは不思議だ。どこかで自分勝手では?と思うけれども、いちいち答えてられるか~という感じ?
ま、そんな人よりも、もちろんきちんとレスポンスしてくれる人の方が好きではあるが、仕方ない。そう、仕事でコミュニケーションをいっぱいしなければならなかった父という役割。家族内では、いわなくてもわかる。わかってほしい。というものかもしれない。オンナから見れば、それはオトコの甘えではないかい?と思えてならないけれど・・。ま、あと何年元気に生きてくれるかわからないが、とことん父のオトコ心とも格闘しながら、向かい合っていくしかない。と思う、今年も最終日。
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