夫婦同姓が合憲だということになり、また波紋を呼びそうだ。実際のところ、これが違憲となるとはちょっと思っていなかった。
この夫婦別姓についての主張をしてきているのは、おそらくほとんどが女性だろう。男性でそれに賛同する人は女性からみればよっぽどの理解者だ。多くの男性からすればどうでもいいことというか、そういうもんだろう世の中は!という感じかもしれない。
またこれは、社会の一員としてがんばろう!と思ってきた女性にしか理解できない感覚なのかもしれない。かなり社会参加について前向き、積極的な生き方、また自分の人生について自立的に向き合っている人だと思う。
今回の結果をメディアで知ったとき、何かしらこらえきれない感情があり、それを内側で押しつぶした。
何かわからないが、今回なんとかしたいと立ち上がった人たちに対しての同情の気持ちと、自分の中で何十年も闘っている気持ちが混ざり合ったような、悔しいようななんとも言えない気持ち。
今回のことが合憲だとなったからといって、では自分は即結婚という方法をとったか?これについても複雑だ。検討はするかもしれないが、そう簡単に人生の生き方を変えたりはしない。
今回の結果を知り、男性には理解できない、男社会の家族の価値観を当たり前に持って生きてきている人には別姓なんて不必要なこと・・なのだと改めて思う・・そのことが悔しかった。
生まれてからずっと日本はしょせん島国、男尊女卑が根底にある遅れた閉じた社会だ。
女性の社会進出といいながら、何なんだろう。
女性が輝く社会とかちゃんちゃらおかしい。やっぱりそのままだ。
いずれにしても合憲とか違憲とかの議論に負けず、自分は自分の生き方をまっとうするだけだ。
まだまだ勝負は続きそうだ。
その立場になる、そのことを意識しないと、理解できない。そんなもんだ。
引かれたレールに乗るか、レールを引くか、そのレールではない違う道で生きるか。
最初の方法以外は、なかなか難しく、生きるのには厳しい選択だ。
家族の一体感が苗字で支えられる?おかしいな。なんだそれ?遅れた日本。
家族って何ですか?どこから見た単位ですか?
女性をわからない奴らに、女性が輝くとかへらへら言ってほしくはない。
愛は、憲法を超える。これを目指して、さあどこまでいけるか?
何でもわからない人たちが決めていく。国も家族も何の単位なんだ?
と、この件だけは!と怒りが込み上げる。
愛は法を超えられないか?
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