世間はクリスマスムードが高まっている。花卉業界の方に聞くと、ポインセチアの販売はもうピークを過ぎ、来週になると残り物しか出回らないのだそうだ。
そして広告はジュエリー、シャンパンなどが目立っている。
やはり世の恋人たちは、ちょっと非日常のレストランに予約をとり、乾杯をして、プレゼント交換して愛を語り合うのだろうか。本当に今も、クリスマスってそのように過ごしているのかな?
いずれにせよ、平日の当日ではなく休日や祝日にというケースも多いだろうが、ま、そんなイベントを楽しめるのも平和な証拠。
と、実はここまでが前置き。最近、思うことがある。高齢化社会における「愛されることについて」である。健康長寿とはいうけれど、本当に人々が元気でいられるのは、「愛」のおかげと思う。
孤独な老人ほど悲しいものはない。家族にも近所にも、友人たちに親しまれ、大切にしてもらえる人は幸せな老後を送っているはずだ。たとえ病気であっても、応援してくれる、見舞ってくれる人がいる限り生きなければと力が湧いてくるはずだ。
どうせ生きるならば、いくつになっても、人に愛される人でいられたらいい。多くの人にでなくてもいい。そのためには、努力が必要だと思う。
普段から人の気持ちがわかる、わかろうとする、優しくする、見守る・・・。いろんなことが愛の努力だ。優しい人、明るい人、元気な人は人に愛される。自分勝手な人、人の話を聞かない人は愛されない。瞬間風が吹くように、人が通り過ぎていくだけだ。
最近、もし長く生きてしまうならば、「かわいく、かっこいいマーサばあ」にならなければと思う。
それは自分の母親を見て、そう思う。愛されるには愛する努力を怠ってはいけない。
要するに、人に尽くすことを忘れないということかな。孤独な老人の死がこの年末、増えませんように。
愛される努力、愛する努力。どちらも大切。
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