先日のディナーショーに参加いただいたあるお客様から、帰り際、会場であいさつをしたら、「うーん、感想は手紙書きますね。ぼく、実はメール好きじゃないので。気合入れて書きます!」と言ってくださった。仕事上でのおつきあいでは、日頃メールでやりとりしているのと、その人の職業からしてもメールなしではありえないだけに、手紙派なんだ!とそれだけで静かに感動していた。
誕生日の翌日、出張から戻ると机の上に万年筆で書かれたきれいな文字の封書が。「あ、来た来た!」と差出人の名前を確認し、着替えもせず、即開封。すると彼の人柄がそのまま浮かび上がってくるような、素直な感想文で、まるで話しかけられているかのようであり、そして、この感想と気持ちを伝えるために心落ち着かせ、丁寧に書いてくださったということが伝わってきて、何度も何度も読み返した。なんだかすぐメールで来ましたよ!という返事が安っぽい感じもする。返事も手紙がいいよな~と思いながら、いろいろ想像する。
今の時代、メールが日々のやりとりの基本ツールになってしまった以上、これはもちろん外せないけれど、印刷されたものではない、手紙は、まさしく「手の紙」であり、相手の思いをそのまま感じる最高の伝達手段だ。封筒も便箋も、そしてペンもその人の人柄やセンスが伝わる。
私もここぞ!というときは、丸善の太い罫線の便箋を使って、書くのが好きだ。が、最近はちょっと減っている。が、やっぱりここぞ!の時は手紙だ。
お歳暮のシーズン。モノを交換するのももちろんよいが、そこにあったかいメッセージがあるだけで、寒さも忘れる。Kさんの手紙は、ライブツアーを続ける私にとって、大きなエネジーとなった。ありがたくて、ありがたくて・・。
100本のメールより価値ある、一通の「手の紙」
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