「今日は要らない!」でフィナーレ。神楽坂の父の店。

神楽坂界隈に飲食店はあまたあるが、実はほとんど行かない。高くてかっこいい、高くて美味しい・・・は当たり前。どうもウワベには心を動かされず。昔ながらの店がいい、でも割烹には用はなく・・・。そんな私にとって神楽坂らしい店とは懐かしき時代の関西、京都の雰囲気が楽しめる・・そんなお店。・・・探していたわけでもないが、引っ越してからすぐに偶然みつけた関西風のお好み焼きのお店。ちょっと路地に入ったところにあるのがいい。気が付けば10年以上通っていることになる。
神楽坂の飲食店でずっと行きつづけているのは、結局、そこだけ。しかも本当に好きな店は口コミしたくないものだ。いわゆる、隠れ家的な存在というのかどうかは知らないが。
とにかくそこのお父さんが好きで、好きで。岐阜の父と同い年で、しかも誕生日が一日違い、と驚くべき事実。でもとてもダンディで、昔はモテたんだろうな~と言うと照れていた。いつしか、好きな日本酒を誕生祝にと、持っていくようにもなった。2か月ぐらい行かないと、そろそろ行かなくちゃと思う・・・そんな程よい距離感のお店。
最近行ってないな~。そろそろ行かなくちゃと思った週末、気になりながらも所用で行けなかった。すると偶然なのか何なのか深夜にメールが入る。その店をお父さんと一緒に切り盛りしている息子さんからだ。「マーサさん、ご案内が遅れましたが、当店11月末日で閉店することになりました」とのメッセージに驚いて、眠気もぶっとぶ。店の老朽化と、お父さんの高齢が理由だという。
それならば最終日に行かねば。とにかくその日しかもうないのだ!と思うと、他の用事も変更して、とにかく最終日にお店に伺う。
すると店内は常連さんや、商店街の方々といったお店の応援団の皆さんで賑わっていた。
いつもの席をとっておいてくれていた。この席に座るのも最後か・・。今日は何にしようか。とメニューを見るが、これも最後か。どの行動にもしみじみしてしまう。好きだったお料理を注文する。とんぺい焼き、鉄板焼き、お好み焼き・・・もう最後だと思うと、なぜか悔いのないようにオーダーしてしまう。まるで、最後の晩餐のようだ。
一口一口美味しく味わい、鉄板をキレイにするお父さんの手を見ながら、これももう見られないのか・・・。おなかも胸もいっぱいだが、なかなか帰りたくない。
これ以上は入らない。胃袋的に?悔いはない。そろそろ帰ろうか・・そうそう、お父さんの好きな日本酒。「今日は私のふるさと岐阜のお酒にしました」といって渡すととても喜んでくれた。では、帰りますので、会計してください。最後なのでせめて少しでも売上に貢献したく、たくさんオーダーしたのだ。「いや、今日はもらえない。今日は要らない」「へ?だって、こんなにたくさん頼んだんですよ。ダメです」「いや、最初から今日はそういうつもりだった。長い間、通ってくれたんだもの、今日ぐらいは。本当に本当に長い間ありがとう、通ってくれてありがとう。ありがたい、ありがたい・・」と白髪のお父さんはしみじみと・・。息子さんは止まらないオーダーのお好み焼きを焼きつづけながら「いいんです。今日はおやじともそのつもりでしたから、またどっかで奢ってくださいよ」と泣き笑いで答えてくれる。なぜか涙が止まらない。そう、海外出張から帰るといつも、そこのお好み焼きに行こうと駆けつけた。何があってもそこに行くと、昔ながらの神楽坂の時間が流れていた。一生懸命がんばるお父さんを見ると実家の父を思い出した・・・。私のホームページをお店のサイトのリンク集の一番上に張り付けてくれていた・・。とにかく、とにかく神楽坂で、東京暮らしで一番大好きなお店。その店が32年の幕を閉じた。
大泣きして、お互い、ありがとう、ありがとう・・といって長い握手をして、店を出た。
広告もせず、派手なこともせず、地道に地道に地域とともにやってこられた、町のお好み焼きやさん。私はこういう店が好きだ。こういう店が高齢化とともに1件1件と姿を消していく。
幸いなのは、「元気なうちにやめないとね。オレの人生もまだ先あるからさ」と言うご主人の言葉。
そうだ。そうだ。そのとおりだ。ふと偶然、この同じ11月に大きな仕事を終えた岐阜の父とまた重なった。長らくお疲れ様でした。本当にありがとうございました。またこれからも、神楽坂のお父さんと会えますように。関西風お好み焼き。一生忘れない神楽坂の、私にとっての名店。感動のフィナーレをありがたく・・。こういうときにかぎって、スマホを忘れ、記念撮影もなし。だからその姿は心の中に・・。忘れないようにしなくては。それにしても、おいしかった。
松ざきさんは世界一のお好み焼き屋さんだ!ありがとうございました!どうぞどうぞお元気で!

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