わが生まれ故郷は市(まち)として、消費量は全国一だそうで、モーニング合戦はじめ、喫茶店ビジネスがさかんだ。そんな土地で育ったせいか、子供のころから喫茶店には親しんでおり、ひとりで店に行ったのは高校生だったか、大学受験大を稼ぐため、バイトもよくしていたことが懐かしい。
そのおかげで、カフェには大変興味があり、京都時代は名曲喫茶や、レトロな雰囲気のブックカフェ~当時はそんな名称ではなかったが~は大好きで、ちょっと旅する気分で喫茶店には通ったものだ。そこで本を読んだり、何かを書き殴ったり、音楽を聴いたり・・・今、思えばそこで、贅沢な時間を昔から過ごすのが好きだったようだ。
ちょっとした非日常がそこにあるのがうれしかった。岐阜で喫茶店とはこういうものと教えられた、「モーニングを食べておしゃべりする喫茶」ではなく、ひとりで過ごす喫茶時間の方が好きであった。
今はサードコーヒーだ、いやNYでは第四の波だとカフェ市場も変化し、そしてその話題はいつも賑やかであるが、それらとは対極の昔変わらない名曲喫茶・・・が今も、都内にもいくつかある。
今回、久しぶりにアルゼンチンタンゴ専門のカフェに足を運ぶ。ドアを開けると同時に、懐かしの女性歌手のワルツが流れている。バンドネオンの伴奏が心に染みる、ああ、懐かしい。もうそこはブエノスアイレスの酒場のようだ。店内は何組かのお客さんがそれぞれの時間を楽しんでいる。カップルで来ていてもここでは会話をせず、それぞれ読書をしているのが印象的。ひとりで来ているお客さんは昼間からビールを飲み・・・自分だけの時間を楽しんでいる。
私は私なりに、サードアルバムにも入れたわがオリジナル曲「カフェ・トリトーニ」を思い出し、ブエノスアイレスのそこに座っているような錯覚にもなりながら、しばし、心の旅を楽しむ。接客も静かで、注文したドリンクが出てくるのがゆっくりだ。そんなか店内を流れる曲をゆったりと楽しむ。
ああ、あの彼女は昨年亡くなってしまった・・・大好きな歌手を思いおこし、日本でも40年前に南米音楽は大変盛んであったことを店内の資料で知り、もっと早く生まれていれば・・とこの店が生まれた頃のことを想像する。時間が止まる、あるいは時代を遡る喫茶店。これこそ、喫茶文化。コーヒー一杯で、心の旅に連れ出してくれる店は貴重だ。
こんな店が増えることはないが、絶対になくならないでほしい。
おかげで、都内にいても小旅行ができ、想像力も掻き立てられる。新たな作品も沸いてくるのが心地よい。
喫茶文化を楽しむ時間
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