土地は田んぼへ、住宅へ・・。

18歳のとき、田舎を出てそのまま違う場所で住むことに慣れてしまったために、あまり土地や家についての執着はない方だと思う。
自分が土地や住宅を所有してこなかった、人生はレンタルと思う故、所有という考え、こだわりをもたなかったからか、その土地に生まれ、育ち、それを守ってきた人の価値観とはかなり違っているかもしれない。
自分の親は、生まれて80年近く地元に生まれ、育ち、一度も違う町で暮らしたことはなく、車で30分以内の距離の生活圏で生きてきた。
そのような生き方をしてきた父の世代の人にしてみれば、わが町、そしてわが土地へのこだわりは、私には理解できないものがあるかもしれない。
そう、先祖代々守ってきたもの・・。という考え方だろう。
土地とはその人の身分を表す、豊かさを表す存在であろうか。
私にはその所有感覚よりも、その土地で子供時代に何をしたか・・・という懐かしき思い出の方が強烈に心に刻み込まれている。
ああ、あの田圃で子供の頃、手伝いをした、食事はアルミの弁当箱に入ったつめたいごはんと、おかずは思い出せないが、なぜか藁の香りとアルミの弁当箱についた白いごはんを思い出すのだ。
そこでそんな時間があった・・・。約半世紀の時間の中でそんなことをしている人は周りにもいなくなった。かつての農地はマンションに代わり、高速道路ができて・・。
もうその土地でのその時間に戻ることはできない。景観も代わり、住む人々も変わる。私は今、なぜかその子供時代の田んぼでの手伝いを思い出すと懐かしいとともに心が痛んでたまらない。
もうその日は再び帰ることはない。でもその代わりに得たものがあったはず・・。

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