「寄り添う」ことを改めて。

最近、老いていく両親を見ながら、残された時間について考える。おかげさまで、まだまだ元気ではあるが、80歳に向かい、体力も自然に低下していき、記憶力も少しづつ・・。
まあ、昔でいう「ぼけ」というならば、それも年相応であるが、それでもおかげさまで、元気でまともに喧嘩もしていたりする。
喧嘩をするのは、相手を昔のままにとらえているから。そう、期待しているから喧嘩をするのだ。喧嘩とは相手に体当たりすることだ。弱い相手であれば、力を抜いて対応する。喧嘩するというのは、遠慮ない相手であり、相手が元気だからできることなのだ。だから、そのことに感謝しなければならない。
とはいえ、これから徐々に弱っていくだろう。いつか分かれる日が来るだろう。
そう思うと悔いないように両親に向かい合うことが大切だと思う。
そして、両親の一生を思い、彼らの人生がいい人生だった・・と自らが思えるように応援しなければならないと思う。
親には私が生まれる前の人生もあったわけだ。そのことを最近しみじみ思う。
父や母の若かった頃の話を聞くのはいいコミュニケーションだ。
今、人生の記録をDVD出版しようというビジネスのサポートもはじめたが、
人の人生とはそれぞれがドラマなのだ。
まもなく両親と数年戦い、がんばってきた仕事がひとつ終わる。そのあと、私は新たな課題として、どこまで彼らの人生に寄り添うことができるか?について取り組んでみたい。
それをすることで、私自身の人生も幸せになる。
毎朝父と母に個別にメールを続けている。だんだん返事が来なくなる日も来るだろう。
でも、毎日覚えているよ、というメッセージを発し続けたい。
いつまでも、いつまでもというわけにはいかないだろうが、できる限り、長く幸せに生きて
もらいたい。
愛する人への寄り添い方は、さまざまだ。私なりに、できることを。

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