報復は真の解決ならず。

パリはここのところ、憧れの町、花の都ではなく、恐怖のテロ拠点になってしまった。わがグラン・ルーはパリの観覧車がルーツであるので残念でならず・・・。コンコルド広場とルーブル宮の間に建っていた移動式観覧車のほど近くで今回の惨劇が繰り広げられたとは、無念でならない。自由の国は、ときに敵にとっても自由にやられてしまう。
テロに屈しないということはよく理解できるが、では報復か。そのための世界各国の結束・・・。これで、問題は本当に解決するのだろうか。解決するためにやっているのではなく単に報復しているだけである。
どんな理由、いきさつがあるにせよ、相手が行動を起こすにはそれなりの理由がある。なぜそれをするのか?をしっかり対話することもせず。すぐ武力で衝突するのは本当に正しい選択か。
報復よりも、教育をと訴えていたアジアの若き女性たちがいた。これはとても聡明だ。
ハンムラビ法典のように目には目を・・と今でも報復でもって結束する各国の判断はとても危険だ。
叩かれたらたたき返す。これでは解決にならない。言葉が、対話でのコミュニケーションに勝るものはないはずだ。
知的であるはずの人たちが、ときにおいて人間は進歩していないということをさらけ出す。
日本によからぬ影響がないように、飛び火しないように。と、祈るばかりだ。

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