「いも」も、ザビエル縁。

実家の住所は「芋島」という地名。それが子供のころ、とても嫌だった。田舎臭いとか、恥ずかしいとか思っていた。そのこともあり、京都で一人暮らしを始めたころは、カッコいい住所だな~とそれだけでとても満足していた時代もあった。若いときは、そんなことも気になるものだ。
それが大人になり、最近では別にいいじゃん。という感じで、何も感じなくなった。
その由来は今も知らない。そういう点でも興味もなかった。

ところが、最近、個人的にイモに関心を持ち始めている。
さつまいもは、ポルトガルから入ってきたようだ。
鹿児島や長崎など、土地がやせたところには、このイモは米を育てるよりも、たやすかったようだ。
そしてキリスト教の禁教時代も、長崎市の外海などでは、イモが収獲できることで、飢えをしのぎ
多くの人たちが暮らすことができた・・・。かくれキリシタン自体を救った作物はイモであるとも言われている。
と、最近、こんなことを知り、イモの力に感動している。
気が付けば、平戸でもサツマイモをたくさん買い込み、せっせと蒸して、いただいている。
米が主食でなくても人間生きられるのだ。

やっぱり、私は正真正銘の「いもねえちゃん」だ。
ところで、新潟では今、おいもを加工して新たな商品開発とブランディングをがんばってやっており
「いもジェンヌ」というプロジェクトも生まれている。なぜか、親しみがわいている。

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