単なる不動産でなく、祈りの歴史の集積としての「世界遺産」

たびら1
たびら2

世界遺産とは、単に建築的に歴史があり、特徴があるといった不動産としての価値だけでは登録されないそうだ。
その建物での人々の営み、祈り、活動・・・受け継ぐべき歴史があってこその、その活動拠点としての建物であるべしということだとのこと。そしてどんなに美しい建築物であっても、歴史が浅いと対象にならず、また多くの人が利用するからと、入口が舗装されていたりしてもその対象にはならないそうだ。現在、長崎県ではキリスト教会群の世界遺産登録を目指し、健を挙げて取り組みを推進している。そのなかでも、平戸や五島には苦難の歴史を乗り越えてきた教会群が多く、その歴史を今.観光的な意味だけではなく、後世に伝え、つなぐための啓発事業も行っている。今回のわがザビエルコンサートはその一環として実現することとなった。市の担当者によると、まさに出会いがタイムリーであったらしい。私にすれば運命的ではある。
さて、そのコンサートは教会での開催ではなかったが、そのチラシやポスターは、世界遺産を目指す教会の掲示板にも貼られていた。
写真の教会は、世界遺産を目指す教会群のひとつの教会。佐世保から平戸に入る、一番手前にあるたびらの教会だ。
大正期に誕生したこのレンガ造りの建築の美しさにももちろん感動するが、100年前に信徒たちの手によりこの建物が生まれ、大切に育まれた大切な祈りの場であることに静かな感動を覚える。残念ながら、長崎市内の大浦天主堂は最近はあまりに有名になりすぎて、本来の姿から変わってきているような気がするときもあるが、この平戸にある静かな教会は祈りの場として、大切なものをなくさずにいることに感動する。見学するときは、係の方に声をかける。すると丁寧なご案内をいただける。教会を大切に守られている・・・その思いが静かに伝わった。平戸にはこのような教会がいくつかある。そしてまだ見ぬ五島にも、こんなところに・・という僻地にその教会が存在しているそうだ。宗教の世界も高齢化社会の影響で、教会を守る人たちが現象しているという。だからこそ、守らねばならない。だからこそ世界遺産になって・・後世につなげたい、世界に知ってほしい。この平戸には純粋な気持ちがまだまだ残っている。
秋の晴天、コンサートこそかなわなかった教会ではあるが、大切な祈りの場としての教会を学ぶ、貴重な経験をさせていただいた。

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