男も女もみんな生き生き、輝くのがいいに決まっている!

なんだか「女性が輝く社会を」とか、女性管理職の比率をもっとあげるとか、ウーマノミクスの時代だとか・・・。まあ、はっきりいって、全身痒くなるような、吐き気もするぐらい、違和感を通り越して、嫌悪感を感じる今日。
30年ほど社会人生活をさせていただいているが、女性だからもっと輝きたいと思ったことは一度もない。女性だからではなく、ひとりの人として社会に通用する人間になりたいと思ってきただけだ。
女性はおそらく、男性よりも感情豊かで、言いたいことは言える方だと思うし、男性たちが一生懸命働いてきてくれることに支えられて生きてきたという現実もあるだろうし、好きに生きているのでは?と思う。家族を養わなければならない、ローンがある、家長として、男性だから・・と無理してがんばってきた男性たちは、全員が輝いていたのではなく中には無理していた人たちも多いのだ。だから、そういうお父ちゃんたちこそが、輝ける時代にならないといけないのではないか?と強く思うのだ。
女性だから・・をいいことに甘えてはいけないし、権利だけ主張する生き方は好きではない。自分が選んだ道、自分の人生なのだから、周囲に何か期待するばかりではなく、自分がすべきことをまずしっかりやればいい。がんばれば、女性だからではなく、人として評価され、道は開ける。そういう流れの方が自然ではないか?
女だけ輝く社会は危険だ。わがままと勘違いが増殖するのでは?男も女も、みんな自分らしく、みんないきいきと。
また経済も政治も、数ばかり追いかけている。量より質だ。相対的なことばかりに注意を向けているようでは、真の輝きはやってこないと思う。私の考えでは、輝きとは与えられるものではなく、内面から生まれる、光ってくるもの。これは与えられることより先に、自らの意識改革、行動が先なのだ。うわべだけ、言葉だけ。それが政治にならないように。批判はしたくないけれど、別世界にいる自分を感じ、いい意味で孤独感も感じてもいる。それでいい。

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