地図がない時代から海を渡ったり、陸を突き進んだ先人たちはすごい。歩いたからこそ、渡ったからこそ、計測ができ、記録ができた。
何もないところを行動する勇気たるや、ただただ感嘆。
現代社会は具体的な目標が立てやすい時代だ。先人たちが作り上げてきたさまざまなモノ、コトが事例としてあり、情報が溢れ、それを見ながら自分の目標を立てることもできる。目安がなければ目標も立てづらいはずだ。
未知の世界。これは地図がない世界と同じだ。その未知の世界に向かっても生きる。実は人生はそれとイコールだ。未知に向かってのみ生きている。泳ぎ始めたはいいけれど、思ったより深くて、足もつかず、もがいて苦しくて、それでもここで負けてなるものかと馬鹿力を出して前に進む。岸が消えていたらいいが、見えなかったら果てしなく泳ぎ続けることは困難なはず・・。
今の時代は、おかげさまで岸は見えやすい。情報社会はそんなことでは役に立つ。あらかじめ予測しやすい、安全性という点では大変ありがたい時代だ。
だから、できる限り溺れないようにするために地図をもち、頭に入れ、海の広さもわかった上で、スタートすることにしたい。
しかし、現実には自分に課される新しい経験が、未知なる故にどうゴールをみつけたらいいかわからないこともある。いろんな情報も得ながら、人はときにもがき、ときに苦しむ。そこで流されるか這い上がるかは、結局、その人の「なにくそ」精神だと思う。
進む人生は未知なる世界。やっぱり地図ぐらいはあった方がいい。GPSやスマホはいらないけれど。
そう、地図も経験で更新されていくものだ。結局つねに先人たちの遺す軌跡から、私たちは生かしていただいていることを忘れてはいけない。
未知の海を、泳いで渡る
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