信長も見たはずの景色に

経済的、政治的そして文化的にも新しきものに興味を持ちつつ戦国時代を生き抜いた織田信長。とくにわがふるさと岐阜の命名者であった点、南蛮文化およびキリスト教にも寛容であった点など私にとって大変興味深き、歴史上の人物。ザビエルと直接は会うことがなかったが、後継者とくにポルトガル人の宣教師 ルイス・フロイスとは交流もあったようで、その宣教師自身が書いた日本史にも記録されている、信長最後の城、安土城。今回、ザビエルプロジェクトの次なる展開をもとめ、その地に足を踏み入れる。信長といえば、清州、岐阜だけでなく、この安土。岐阜生まれの自分としてはちょっと悔しいが、岐阜より京都に近く、また水利にすぐれた安土を自らの拠点とした信長。それはそれは素晴らしい城を築いたそうだ。
その城跡。何かちょっとした城門と広大な空地が残っているのかと思ったら、天守閣にいたる石段がそのまま残されており(もちろん時代時代で保守修理はされているだろうが)平地から天守閣まで昇ることができる。しかし、見上げるだけで限りなく続く石段は400以上あるとのこと。入口には杖も用意されており、往復で1時間かかると案内があり、ちょっとひるんだが、いや、信長が天下を治めようとした場所、実際に信長が立った、座った、見た場所に行かねば!との思いで、石段を上る。かなりハードだ。石段が安定しているため、まだ足元はふらつかないが、それでも段差も高く、かなりのハードワーク。こんな山に石の階段を作り、石や木材を運び、巨大な城をつくった・・・。450年前にこんな壮大な建築物を立てたとは驚くばかり。信長もすごいがこれを設計、建設した人も、その作業にかかわった一人ひとりの職人たちもすごいもんだと、感心しながら息を切らして石段を上り続ける。
信長が見た景色、彼が見降ろした琵琶湖の、近江の街並みを一目見よう・・ただその思いだけを胸に歯を食いしばって石段を上り続ける。時々「無」になる自分がいた。疲れ切って上り続け、ようやくその風景に出会うことができた。「ああ、これが信長が見た近江の国か、フロイスも感嘆した城から見た景色か・・」静かな感動とともに、安土城の敷地からの眺めに浸る。琵琶湖が美しく広がっている。おそらくこの景色はその当時とそれほど変わっていないのではとも思えてくる。なんだか信長が金平糖を食べながら、笑って後ろに立っているような気がした。この城が完成し、わずか2年後に信長はかの本能寺の変で亡くなり、その後、火事にあってこの城が消失したという。栄枯盛衰といっても短すぎる安土城の存在だ。
歴史とはなんとミステリアスなのだろう。
美しすぎる秋の琵琶湖と近江の家々と田んぼの野焼きを見ながら、近江を経由し、岐阜から京都に向かった30余年前の自分のことも思い起こしていた。
安土城

カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク