その人の価値。


誰しもが、いつしか人生を終える。
ある日突然ということもあるし、だんだんに衰退してフェイド
アウトしていくことも・・・。
その終わり方もさまざま。
人は亡くなってから、改めてその人がいかに周囲に愛されていたか
尊敬されていたか、慕われていたかがわかる。

もちろん生きているうちから、ある程度、それを感じることが
できるが、亡くなることで、その人の「価値」が鮮明になる。
(皮肉にも、亡くなった本人にはわからないけれど。)

人は生きて何を残すのか。
このたびのフランシスコ教皇の帰天については、世界中がその
死を悼み、その存在の大きさに感謝している。
弱き人を助け、恵まれない人に寄り添い、言葉をかけ、手をさしのべ、
平和を心から願い、祈り、勇気あるメッセージを発する。
そういう役割だといってしまえば、そうかもしれないが、
やはりフランシスコ教皇だからの、存在感があった。
人生の価値。
財産をいくら遺したか。ということで人生を計る人もいるかも
しれないが、その人の価値はやはり、愛ではないか。と思う。

周囲の人に良き影響を与えられること。
いてくれるから、見守ってくれるからがんばれる。
心の支えになることができる。
とてもとても及ばないけれど、いつもいい笑顔だな~と
好感をもちながら、その活動をみつめ、お父ちゃんがんばれ!
という感じで応援していた。(大変不謹慎ながら)

亡くなって、こんなに世界中の人々に惜しまれるとは
凄い力を持つ人であったのだと感動する。

まず愛し、愛される。
そこには戦いはなく、あるのは笑顔と勇気のみ。

フランシスコ教皇を見送る人が、世界からローマに集まって
きているという。
現地に向かうことはできないが、ここんところ、ずっと
その死を悼みつつ、その存在の大きさと、人の価値と
そして愛について考えている。
少しでも近づきたいと思う人が増えれば、世界はきっと
もっともっとよくなる。

宗教での表現は異なっていても、利他の精神をもって
いる方でもあったのだと思う。

偉人の死は多くの学びを授けてくれるものだ。

さて、自分は少しでも価値ある人になれるか?

長崎の出津教会に咲いていたマーガレットをここに・・・。

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