「元気をお届け」は遺伝?

田舎に帰り、親が日ごろお世話になっている人たちと時々出会う。そうすると「いつもお母さんから、元気もらってます」と言ってくださる方が大変多く、とてもうれしいことだと思う。そういってもらって親自身もその言葉からまた元気をもらっているのだろう。
一方、私自身もライブや講座などをやった後、参加いただく方の多くから「元気もらいました」との声をいただく。意識しているわけではないが、どこを、何を見てか感じてか、そう思ってくださる方がいるのはとてもうれしい。
親からいろんなものを受け継いできているのだろうが、受け継いで一番うれしいのはこの「人様に元気にお届けできること」だろうか。「元気やな~」と周囲を驚かせる、のが楽しいのかもしれない。
何もできないけれど、出会う人々に「元気をお届けする」という生き方も悪くない。会うことで周りが元気になり、前向きに生きるきっかけになる。いつのまにかそんなことが使命?役割になっているわが人生。いつまでも、そういることができればいいが、果たしていつまで?
わが言動に行動に、音楽に、表情に、「元気の素」が入っているならば、やはりDNAのせいだろう。愛の元気人とは、偶然のネーミングではないのかもと最近思い始めている。

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