4月第二土曜は、地元の手力神社で行われる火祭り。すでに300年以上の歴史があり、岐阜県の無形民俗文化財にも認定されている、伝統行事。
子どものころから、この祭りには親しんできた。
京都や東京でのきらびやか、粋な感じとは全く違う。鼓膜が破れそうな爆竹の音、
ガンガン馴らされる銅鑼の音のなか、飾り神輿が担がれ、宮入り。
火祭りということで、花火を多用することが特徴である。花火詰めも地域の担当者が
担う。何か月も準備に時間をかけ、この祭りを仕込む。
それを楽しみに県内外から多くの観客が押し寄せる。
半端なく大きな銅鑼の音、爆竹の音で、みこしが近づいてきたことを知る。
ちょっと中国的なダイナミックな祭り。長崎の精霊流しより、派手である。
神輿を担ぐ人が減ったとか、不景気で寄付が集まらないとか、
花火など原材料費の高騰などいろいろあるけれども、
その祭りに命をかけて取り組む地域の皆さんがいる。
父もこの祭りになると、大きく見えた。実際、酒も入って気が大きくなって、
その日ばかりは偉そうになり、翌日母に怒られていた。
それも含め、祭りはハレの日。
コロナ禍ではこの祭りも中止。
親には最後にこの祭りを見せてあげることができなかった。
この様子を見たら、もっと寿命が延びたかもしれない。
同級生たちや先輩たちが、がんばってこういった行事を支え、地域を守っている。
もしも、自分が男に生まれていたら、こういうこともしていたのだろうか?
地元に残ってがんばっている男性たちに感謝とエールを送る。
銅鑼の音に爆竹がはじけ、すごい煙とニオイ・・・。
ふと、父がはりきっていた頃を想い出したら、たまらない気持になり、
祭りを最後まで見ることなく、この喧噪と賑わいと後にした。
祭りに酔う男衆の姿を見て、ハレの日の解放感を感じる。
「まつり、好きやねん」
この祭りの役員をされている70代後半の方に、昨年聞いた言葉。
好きだから、やめられん。
どうか、この祭りは後世にも受け継がれるように。
爆竹と銅鑼の音、花火のなかに、父が生きて証しをここでも
思い出し続ける、涙とともに。
火祭りは永遠のレクイエム。
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