「怒り」から感謝へ。

先日書いた、芥川賞を受賞された作家さんの表彰式後の
ミニスピーチの映像を見て、大変印象的な言葉があった。
細かな正確な表現はともかくとして、記憶に残ったのは
このような内容。

さまざまな身体の支障がありながらも、執筆を続け、
作品ができた時に出版社に持ち込んだとき、相手にされ
なかった。そういう時代が続いた。
そのときに、相手にされないということについて怒りの
感情を覚えた。
でも、その怒りがあったから、書き続けた。
そして、この度の受賞となった。今はそれがあったから
・・の今日だからその方たちにも感謝したい。

この言葉を聞いて、深く共感した。
私はこんな立派な賞を受賞していないし、これからもする
ことはないと思うが、「怒りが力になる」という部分につ
いて、心から共感するのだ。
世界を揺るがす、著名な事業家もそのような言葉を遺して
いたことも思い出す。

怒りというのは、パワーの発電源になることがある。
怒りのぶつけ方を間違うと、他者を傷つけてしまったり、
平和が崩壊することもあるので、絶対に間違えてはいけ
ないが、
その怒りが自らの挑戦につながり、その結果、よい結果
が出るならば良いことだ。もちろんその過程はとてつも
なく苦しい。

なにくそ!負けるもんんか。見返してやる!
ぐらいの気持ちだろう。

若い時から、何かあると「なにくそ精神」でがんばろうと
思って生きてきた。
差別的なことや、理不尽なことに出会うと、そんな気持ち
が湧いてきた。
私の怒りは、障がいをもった作家さんの経験に比べれば
大したものではない、
今のところ身体が自由に動く自分には、できることが
いろいろある。
いろいろあるから、力が分散することもあるが、それは
それとして、怒りを力に変える生き方は共感できる。

困難を乗り越え、自分がしたいこと、すべきことを
いのちかけてやっている人には心から感謝したい。

怒りは「奴の心」と書く。
それを自分の方に引き寄せる。
すると、パワーが湧くということだろうかと勝手に
解釈する。

その結果、その相手にも感謝できるように。
それが成長といえるかもしれない。

自分も見習いたい。

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