どこまで、いつまでオーバー?

おもてなしの町、京都。
コロナ後、この1~2年、コロナ前以上にインバウンド客が
続々入洛。
京都駅では、修学旅行の生徒・学生の団体ではなく、
大きなスーツケースを押しながら連なる海外からの観光客の
群れ。
新幹線を降り立つときも、乗るときも、次回の移動は早朝と
夜遅くが良いと毎回心に決める。
新幹線の中も、混雑、混雑・・・。自由席は通路まで人が
はみ出ていてゆっくり食事なんかできない。
観光バスが何台も、ホテルの駐車場でお泊り。
インバウンド団体客の多いホテルロビーはいつも騒然。
街中の道は、撮影したい海外の人であふれ、桜スポットは
とくに。
錦市場の買い物も、ままならぬ。早く歩いてよ。と思わず
思う。足も遠のく、あの店のおかみさんお元気かなと気に
なるが・・・。
お店の方も複雑な心境では?
京都も変わったもんだ、と。

「先週の週末は、めっちゃ多かったですね。もう来てほし
くないですね」
「前の京都が良かった。バスも乗れんといってはりますね」
と、京都に住む仲間との会話。
本当にオーバーツーリズムの京都。

世界の観光都市のなかでも異常なKYOTO。
確かに税収や、観光産業は潤うかもしれないが、
住民にとっては課題がありすぎる。

京都に住みたいという夢はだんだん遠ざかり、
ま、行けばいいか。という気持ちになっていく。

昔住んでいた頃の京都。
コロナのときの京都。
季節外れの京都。

懐かしい風景はそんなときの京都だ。

世界経済が混乱することで、観光にも
影響は出てくるかもしれないが、
誰にとっても心地よい状態をつくり
維持できないだろうか。
まちづくりは内外とのバランス、均衡も
大切だ。

京都にはそれだけ魅力があるのだから、
という現実であるが、
パリとも違う、NYとも違う、雑然な
感じを受け取りながら、
棲みやすい町から離れていくことは
残念ではある。
それでも、世界一、大好きな町なのだけれど。

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