お気に入りの丸善の便せん。手紙を書く機会が減ったせいか、
久しぶりの登場。
そして、お気に入りの筆ペン。
ああ、この紙にこのペンで、重要な相手、場面に何度か手紙を
書いてきた・・・。そんな思い出もよみがえった。
しばし心落ち着けて、集中して書く。
遺言書。書いてみて、遺言書?遺言状?
とここから、早速詰まるのであるが、こういう時こそ便利な
ネット検索を続けながら、参考にして遺したいことを綴っていく。
手紙を書いているわけではないが、よく考えたら、これは後に
残るであろう(と勝手に想定)相手に向けての手紙と同じ。
必要最小限のことを記し、あとは任した。
という感じか。
自筆であること、日付があること、捺印があること、封緘する。
などが遺言の要件とのことであるから、いったんはそのとおりに。
一応カタチにして、内容を撮影し、内容と仮の保管場所を共有。
共有された相手がどんな心境かはわからないが、
ともあれ、自筆であれ遺言書があるということで、今から事故に
遭っても、天災がきても・・・不安がひとつ減った感じはする。
もちろん遺言にまでいたらないトラブルや惨事も、事故もありえ
るから、遺言書が活躍するのはわが人生終わったとき。
と思うとこれまでに味わったことのない気持が沸き上がる。
いつか、終わるね。
覚悟ができるというか、なんというか。
遺言を書くと死生観が変わると思ったのが今回の学び。
20代の春、60代の春。
同じ桜を見ても見える風景が違ってくる。
これはこれで良きこと。
おかげさまで今日も生きている。
朝を迎えている。
ひとつ安心して、さらに今日すべきことをしっかり取り組もう。
この封筒が、いつ役になってしまう日が訪れるかわからないから。
もちろん遺言は何度でも書き換えることができる。
毎日書き換えても良い。
一度書けば、そんな感覚にもなる。
そのためには、お気に入りの紙とペン。
ここは外せない。
ひとつ安心。さらに前に。
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