最後の会話は永遠に。

この季節になると、普段以上に母とのことを思い出す。
とくに、最後に会い、会話を交わしたときのこと。
母が乗ったデイサービスの送迎車に手を振ったのが
最後だった。

母が遺した言葉は、
「けんかせんといかんから、長生きせなあかんな」
「誰と?けんかする?」
「まさこさんと」

それまで大きな声で言い合っていた母が、そんな言葉
を口にして、
「はらへった」
といい、自分が作ってもってきたおにぎりを食べた。

それが二人で交わした最後の会話。

この情景は、どんな名作よりも、私の人生のクライマックス
の一コマでありつづける。
そして、思い出すと胸がいっぱいになる。

さて、日ごろ、言葉を文字をいっぱい使って
コミュニケーションをとり、仕事をし、暮らしているが、
どの会話、やりとりが最後になるのかわからない。
そのことを心にとめ、発する言葉を大切に紡がねばと
思う。

できれば、相手にとって「快」な言葉を届けたい。

そう心がけると、もっと優しくなれるのかもしれない。

いつ、どこで最後になるかわからないから、
その一言を大切にしたい。
受け取った言葉は、永遠になる。

カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク