「また会えたね」の季節に。

暦がどんどん進んでいく。あっという間に新学期、新年度が
始まる。
そして、サクラの準備もそろそろ・・・。
実家に向かう途中の堤防に、毎年恒例の桜まつり用の提灯が
装着された。隣町の自治会の方たちのご尽力により、毎年
この境川の堤防に咲く桜を通行客も楽しませていただいて
いる。
なんと、ありがたいことか。
子どもの頃からずっと・・である。

そして、親が元気な頃には気が付かなかった父の名入り提灯。
4年前、母の葬儀のあと、その存在を知った。
「昌子さんのお父さんの提灯、吊るしてあったよ。お母さん
も空から見てるね~」。と知人から教えていただいた。

母亡きあと、父も花見をする元気はなく、結局その後、この
桜と提灯を見ることなく、逝ってしまった。
遺されたのは、提灯と私(と妹)。

それから、毎年この季節になると、この提灯を探すように
なった。
今年もあるかな。破れてないかな。どこにあるかな・・。
今年もすぐわかった。通り道にあって、わかりやすい
場所に。
本当にありがたい。

「おとうさん、今年もよかったね」
提灯に話しかける。
4年前のことが思い出されて、涙があふれた。
この提灯をみつけた人は、きっと父や母のことを
思い出してくださるだろう。

桜の花はいつしか、私にとっては悲しく存在である。
そして、春は寂しい季節になってしまった・・・。

もう4年か。
この季節になると、走馬灯のようにあの信じられない
1年のこと、
それまでのコロナ禍の介護のこと・・・が思い出さ
れる。
「おとうさーん、おかあさーん」
呼びながら、誰もいないまだ静かな、開花前の堤防
を歩いていく。

また会えたね。
・・・どこにいる?

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