家と個のはざまで。

選択的夫婦別姓という社会的な「問題」。
選択的であるか、どうかは別として、この苗字の問題は、
子どもの頃から疑問に思い続けてきたこと。
「今尾家」という言葉を何度も聞かされ、そのこだわりに
ついても理解できないまま、周囲に抗いながら生きてきた。
個の尊重以上に、家の存続が重視されてきた時代。
もう半世紀以上、人生の半分以上、このことについて
首を傾げ続けた。
世の中変わったというけれど、変わっていないなと
思い、であれば、自分が変わるしかないと思ってきた。
自分が変わるというか、変わった自分のまま生きるという
選択だ。

急にこの制度の見直しがなされつつある。
選挙のための改正かとも見えてしまうが・・・。
人生折返しを過ぎた今、制度が変わっても、今さら
今の生き方を変える気はない。

姓の問題以上に、結婚とは?家とは?
世のなかの価値と自分の考えとは、合わないところが
多い。
ではあるが、合わないでも生きてきたから、このまま
自分らしさ(個)をとって、生き続ければよい。

苗字は名前の一部。自分のアイデンティティ。

昨今の別姓問題を取り上げるニュースに半分耳を傾けつつ、
親たちが眠る墓のことを思い浮かべる。
○○家の墓と彫ってある墓石もあるが、親たちが建立した
のは、南無阿弥陀仏の念仏。
今尾家の墓となっていたら、これまた悩みが増えただろう。

いずれにせよ、
日本では、家は社会を支える、いろんな意味で大切な単位。
その中に組み込まれて、黙って、耐えて、首をかしげながらも
生きるのか?
もちろん、単位の中で生きる方が楽という人
もいるから、それこそ、人それぞれ。

自分がいいと思う方法を選べればそれでいい。
それだけの話なのに、なぜこんなに時間がかかるのだろう。

そういう意味では社会をあきらめている。
自分で自分の道を切り開く。
どこまで、それが通用するかはわからないが、

どこまでも個を大切に、自分らしく生きられる社会を
目指したい。

生きるのは難しい。改めて。

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