先日も投稿したが、先日真っ暗闇のなかでの、長良川の鵜飼経験なるものを
体験し、暗やみでモノを感じることを楽しみながら、五感でモノ・コトを
味わうことについても学んだ。
ただ、それはイベントであったため、限られた時間での世界。
アイマスクを外し、日常の世界に戻れば、見えることが当たり前である。
しかし、これは当たり前ではない。
ある日、視力を失うこともあるかもしれない。
その意識をもつことも大切だ。
話は変わるが、ゆうべ、突然、停電になった。
パソコンのモニター以外、部屋中のすべての電気が止まった。
モニターの灯りがあったので、まだよかったが、あたりは真っ暗闇になった。
そのとき、時が止まり、体も固まった。
何が起きた?停電?へ?どうしよう?
幸いにしてノートパソコンであったため、それをもって、スマホを探した。
その時に限って、手元に置いていなかった。どこにいったんだろう?
しかし、真っ暗闇での動きは不安であり、すいすい動けない。
こういうこともあるんだ。しかも、予告もなく、突然に・・・。
心を落ち着けて、暗やみでしばらくじっとした。
そのうち、元に戻る、きっと戻る、戻ってほしい。
そうこうしていたら、ありがたいことに再び、部屋が明るくなった。
ああ、よかった~。どれほどにうれしかったことか。
わずか数分のことであったが、この瞬間停電という経験は初めて
であった。調べてみると、時々あることのようだ。
改めて、自分は、闇に慣れていないと思った。
闇では、何もできない。
いざというとき、外的な要因で闇になった場合、
自分の身体的な理由で見えなくなった場合・・・。
闇とのつきあいは、無縁ではない。
ということを改めて学ぶ。
光と闇。
改めて、闇でも生きられるようにしておかねば。
闇の中で、光をみつけられるように。
今年は「闇」の世界との付き合い方も、意識していきたいと
改めて。
と言いつつ、今朝も明るいところで、この原稿が書ける
ことがありがたい。
見えること、光があることは、贅沢な幸せだ。
暗闇に慣れる力。
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