昨日の阪神淡路大震災で、亡くした家族のことや
友人のことを思い出し、改めてその悲しみを新た
にされた方も多いだろうと想像する。
地震発生時間の黙とう。暗やみのなかの静寂では、思わず
涙があふれてしまった。
この日がくると思い出す、改めて思い出す。
というのは、何とも言えない気持ちだろう。
悲しみに節目はないんです。
と、ある方がインタビューに応えておられ、
そのとおりだと思った。
何年の節目とか、何年経過したとか、何回忌である
とか、客観的にはわかりやすいのだけれど、
それがあってもなくても、人は戻ってこない、帰って
こないという現実は、残された者にはずっとずっと
つらく悲しいままだ。
もう会えないのに、もう一度会いたい。
そう思うと、悲しくなるからと封印しながら
がんばって生きてきた歳月。
そんななかの節目の日は、その封印された
感情がこぼれて来る日でもある。
生きていれば、もし、地震さえなければ・・・。
もし、コロナがなければ・・・。
もう戻らない時間を戻したくなる節目の時。
会えないけれど、やっぱり会いたい。
その気持ちを持ちながら、現実を生きることは
パワーが要るけれど、
会えなくても生きてきた時間をふりかえり、
あなたの分までがんばってきたよ、生きてきたよ。
と、会いたい人に報告をする日。
そして、これからもがんばるから見ていてね。
と会いたい人に伝える日。
歳月は人を強くするのだと思う。
悲しみは消えないけれど、それを持ちながら
笑ったり、楽しんだりもできるのが人間。
悲しみに節目はない。
大切な人を思い、感謝をする日。
悲しみは、人を強くする。
そんなことを改めて思った1.17。
節目と悲しみと。
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