AIの活躍が目覚ましい。
その存在に人格があるわけではないが、学習力が素晴らしい。
わずかの情報から、多くの関連情報を集め 求めるアウトプ
ットを提供してくれる。しかも瞬時に、である。
今、人間はそんなに努力をしなくても、ほどほどの表現がで
きてしまう。
深く考えることよりも、早くこなすこと、効率を優先するこ
とが日常になりつつある。
今、若い人たちとの協働時間が増えているが、
「はい、AIに手伝ってもらいました」
という会話が日常である今日、その言動に驚いているようで
はいけない。
それもあり。現実を認める。その利点を自分も理解する。
でも、自分にしかできないことをみつけ、極めることを怠らず。
一昨日、地元の初春コンサートに出かけたことはすでに記述し
たが、あれは、まさしく 人間ができる、人間だからこそでき
る生の表現。
ライブとは恐ろしいもので、本番は一回きり。
だから、この上なく演奏する側も聴く側も、ともに緊張するの
だ。
機械のように計画どおりに、安定した音色が出なくても、その
時の演奏者の生き様が見えることで、私たちは感動する。
その人が今、生きていることを、その人のがんばりを感じる
ほど、心を動かされるのだ。
一生懸命やっている姿を一番美しいと思うのだ。
もちろん、そこには一定の技術も求められる。
それも含め、
自分しかできないことをやっているその姿が、感動に値する
のだ。
人間らしいことが、人の心を動かす。
なぜ、それをやっているのか。を問い続けながら、努力する
姿に感動する。
このことを、忘れないでいたい。
AIも時と場合に必要であるが、それ以上に「あい(愛)」を
もって自分しかできないこと、生きていることの証しを示す
ことを希求し続けたい。
来週、成人の日のイベントに向け、若者たちの未来を想像
しながらそんなことが頭をよぎる。
自分にしかできないことを。
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