久しく足を運んでいなかったクラシックのコンサート。
地道に地域で開催され、出演者の関係者、応援者たちが
駆けつける、アットホームな演奏会。
岐阜を離れて40年以上経ち、そんな場にも疎遠となって
おり、コンサートといえば、海外に行った際にクラシッ
ク本場で学び、活躍する演奏家や指揮者の演奏を聴きに
行く(しかも一番安い最上階、バルコニーの端っこの席
で聴くのがお気に入り)
と、今から思えばコンサートに行くこと自体がハレな感じ
であったが、最近は地元での活動にもご縁が生まれ、
時折、足を運ぶようになった。
そこでの学び。演奏家たちの技を見る、知ることももちろん
あるが、最近ではコミュニケーションの視点から、
このパフォーマンスは伝わっているか?という点からも
学ばせていただいたり、何より、知らない曲に出会うこと
が楽しいし、知らない演奏家の出会いもうれしい。
こんな作曲家が、いたんだ。こんな悲しい曲を書いている
背景は、やはりその人が生きた社会が背景になるのだ・・
など、そんなことにも触れることで、改めて音楽の力を
感じ、可能性も感じる、
こんな美しいメロディ。私にも書けるかな。
などなど、コンサートに行くと、自分の内面がワンダー
ランドに変化する。
また、それぞれの年代、経験を重ねてきた演奏家
のパフォーマンスから、その人たちから音楽への愛着を
感じることもうれしい。ただ「音楽という一本の糸」で、
人は結び付くことができることにも、心動かされる。
まだまだ知らない世界、若いときにはわからなかった
味わいが、わかることも新鮮である。
今回初めて聴いた曲。アザラシヴィリの「無言歌」、
ハンス・ジットの「エレジー」という作曲家の作品。
新たな発見。その作曲家自体を知らなかったから、
もっと勉強せねば!
また、バルトークのルーマニア民俗舞曲も、素晴らしい。
民俗という言葉は、大衆文化の象徴。いろんな人々が瞬時に浮かぶ。
そんな自分にとっての新曲との出会い、さらに
バッハの「ゴルトベルク変奏曲」弦楽三重奏版も心穏やかに。
バッハってこんなに良かったんだ。とコロナ前、
最後に出向いたドイツ。途中下車して駆けつけた
アイゼナハのバッハの家を思い出し、天才は時代を
越えて生き続けることを再認識・・・。
また、楽器ではなく、歌の力も改めて感じる。
人間自体が、生きる楽器である。
魂を込める演奏について、改めて感じ、
人は声だけではなく、表情も含め、全身で演奏
することで、人に存在を伝えることができること
も、改めて学ぶ。
とにかく、まだまだ知らないことだらけ。
もっと知ろう、もっと触れよう。
興味が芽生えるものには、自分からもっと
挑戦していこう。
新春に訪ねた地元でのコンサートから、音楽の
すばらしさ、多様性を改めて学ぶ。
良質なもの、コト、人との出会いを得て、
さらに内面を充足させていきたい。
それが一番の幸せだ。
お声をかけていただいた主催者に感謝して・・・。
まだまだ知らないことだらけ
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