「欲望の資本主義」という刺激的なタイトルのコンテンツがNHKで時々、
放映されている。これは自分にとって役に立つ、学びの番組であると、
毎回いろんな学者のメッセージを興味深く拝見している。
社会をしっかり見つめている人が、世の中にいるということを
知るだけでも心強く思える。
たとえば、成長とは何か。
企業の場合、売り上げを伸ばす、利益を出し続けること・・・。
それだけが成長ではない。心から、そう思っている。
経済の成長となると、数字に目がいきがちであるが、
企業の持続的な成長となると、決して数字だけではない。
その中身(仕事の質)、そこで働く人、企業自体の成長ということ
こそが、重要なのである。
何のために存続しているか?お金もうけのため・・だけであっては、
ならない。
企業は社会の公器なる存在であるから。
と長年ずっと思っていることが、このコンテンツでも表現は違えど、
伝えている。
人類のために、社会のために。
そのことをいつも考えながら、自分の生き方を模索すること。
ここが今こそ求められること。
であるが、分断の世の中においては、自分第一主義が大きな潮流
になってきており、自分さえ儲かればよいと国、リーダーが登場
してきているのも現実。
煽れば意図通りに動く大衆。ネット社会は大衆をうまく操る道具
になっている。
そんなことについても、考えさせられる今。
簡単なメッセージに左右され、行動する考えない消費者。
ふと、正月恒例のセール会場に足を運びながら、消費する人たち
を観察していた。
それが本当に欲しいのかな。
本当に必要なのかな。
セールって、何のためにあるのかな。
作り手と売り手の勝手な企み?
それに乗って消費しているだけ?かもしれない・・。
とはいえ、
長年自分も、このセールに恩恵を受けてきたことは否めないが、
最近は、欲しいものはそこにあるのか?
ということを考える。
年を重ねてきたから、もうモノは十分なのかもしれない。
最近、そう思うようになってきた。
欲しいとは?
まさに、欲求である。
それが生きる糧になっている人もいるだろう。
それも理解できる。
お祭り感漂う売り場で、いろんなことを思う。
欲しいものは何ですか?
今は、
欲しいものは、そこには、ない。
欲しいものではなく、欲しいこともなく。
ふと、この平和な日本はいつまで・・と思えてしまう。
平和な世の中が欲しい。自分たちだけでなく、今困っている人
たちも笑顔で暮らせる世の中が欲しい。
と、こんな風に考え方が変わってしまう。
消費の装置としての売り場。
そこにモノを提供し続けるメーカー。
単に利益を上げ続けることだけでなく、それ以上の価値を
提供し、本当に世の中の役に立つ存在でなければ・・・と
正月早々、考えてしまった。
売り場は見る場所。資本主義を感じる場所として、
役立っている。
いつまで、人々はモノを作り、売り、買い続けるのだろう。
生きることと消費について、改めて考えなければ。
自分が長年してきている無駄についての反省と自戒も込めながら。