これまでは、毎年何百枚と印刷をして、年末に書いて出すのは
どうしても時間がとれないことを言い訳に、元旦に書いて出す、
いただいた賀状にも返事を書く。
このように年賀状は年始の恒例行事であった。
台湾の人にその話をしたら、年賀状は日本しかない習慣ですね。と
言われ、そうなんだと改めて日本のお正月、コミュニケーション
文化に不思議な誇りをもっていた。
自分が出す年賀状は、自分らしくとそれなりに意識してつくってきた。
一方、年々、今年で終わりというメッセージをいただいたり、
おつきあいのある企業からも、年賀状廃止というご連絡をいただくようになり、
その流れに沿ってというわけではないが、例年つくっているカレンダー
タイプは制作しつつ、それ以外の毎年の新柄分は制作を控えていた。
改めてわざわざ印刷しなくても、これまでにつくったオリジナルのカードが
あるし、それをうまく利用すればいい。と思ったのと、
この何年かで、新年への意識も変わったのか、何か正月の特別感が薄らいだ
のかもしれない。
ということで、今年は頂いた賀状のお返しに、これまで創ったオリジナルの
カードも使いながら、書いている。
今年も、何名の方が、今年で年賀状を終わりにしますが、今後ともよろしく
と書いておられる。これからこういったご挨拶がもっと増えていくのだろう。
寂しいけれど、止められない。
筆を執り続けること、書こうと思う意欲と行動が、だんだん負担になるのだろうか?
年賀状といわなくてもいいので、いつでもいいのでハガキ1枚、手紙一通を書いて
出すという根気、元気は生涯、できれば持ち続けたいもの。
だんだん、受け取る年賀状が貴重に思える。
これは日本の良きコミュニケーション文化である。
郵便代の高騰もあり、年賀はがきの売り上げは激減だそう。
デジタルコミュニケーション社会で、ますます年賀状文化は衰退か?
自分が生きている間は、存続してほしい。
これまでいただいた年賀状、全部保存しておけばよかったかもと、
超アナログなことも頭をかすめる、年はじめである。
年賀状とお返し。
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