人間が母から生まれた以上、母の存在を大切にするのは当たり前だ。一方、父親とはなんとも孤独な存在かもしれない。一生懸命働いて、家計を支えてきたのに、家庭のために人生を奉げてきたのに・・・報われている父親ってどれぐらいいるのだろうか?とくに職人気質だと言葉がうまくないため、言葉でのコミュニケーションが下手で意図しない喧嘩になってしまうこともしばしば。家族内でも孤立してしまう・・。特に女ばかりの家族だと余計にと父親の存在感は薄らぐ。少なくとも自分の父はそんな人だ。一生懸命モノづくりをして、雇われ職人として長年同じところにつとめ、限られた世界の中で生きてきた。育った時代ということもある。父がもっと裕福な家庭に育ち、親も成人するまで生きていてくれたら、きっと違う人生になっていただろう。そしてそうなっていたら私の親じゃなかった可能性もある。
しかし、現実は私の父親であり、唯一、かけがえのない父だ。
父は今月70代最後の誕生日を迎える。会社員としての仕事を終えたあと、20年近く、手探りで新しい事業を進めてきた。
時代が代わり、また高齢になり、ひとりでは難しい場面もあり、ここ数年一緒に取り組んできている。いつも喧嘩、言い争いの連続で過ごしてきた。恨んだり、怒ったり、そんなこともしばしばの時間を過ごしてきた。でも、喧嘩のあとは何もなかったように一緒に喫茶店に行ったりもする。そんなこともいつかは懐かしくなる日が来るのだろう。
喧嘩できるのはパワーがある証拠。そのことに感謝しなければならない。喧嘩したらスタンプ押すぐらいの洒落もいいかもしれない。
ともかく、自分と正反対の考え方、そして不器用な父の生き方を見て、このまま人生終わってもらってはいけないと思う今日この頃。せめて、自分が父の生きてきた軌跡を讃える生き方をしなければと強く思うようになった。
なぜならば、それをできるのは子供である自分しかいないから。
どんなに憎まれ口をきいても、父の人生は私にとって偉大なのだ。そのことをきちんと示していかねばならない。
父親という存在。
もっともっと大切に。ありがたい。生活の糧を稼ぐって大変なんだ。と、大人になってよくわかってきたのだから
もっともっといい思いをしてもらいたい。と心で思うが口に出るのは・・。